科学が見出したもの
科学が見出したものに
気持ちを加えて、今の心と思う。
こんなことができるのか? また、これは良いのか?
まず、気持ちの出所の一つ、
昔から流れてきた心を思い出してみる。
科学が見出したものに
気持ちを加えて、今の心と思う。
こんなことができるのか? また、これは良いのか?
まず、気持ちの出所の一つ、
昔から流れてきた心を思い出してみる。
身の回りにある多くの食べ物について、
少しずつ抵抗が増してきた。(食べてるけど)
大根菜・おから・鳥のレバー・にんじん葉
僕は家のゴハンが好きだ。(随分食べてないけど)
食べることの工夫の連続。
郵便のような仕組みを
今、新しくつくることの難しさ
未だ、郵便の部分的なところは、
完璧な正確さや安全などを頼ってはいない。
なめらかなものを、荒く扱うと角ができるが、
ギザギザなものを、荒く扱うとなめらかになる。
縄文式土器は、このあたりのことも関係がある気がした。
対象が意味付けられているかどうかで、
判断されることが多いが、
認識できているかどうか、知覚できているかどうか
で考えると、多くの抽象と具体は
逆転する。
というようなことを、本で読んだ。合点。
交通は安心により成り立ち
医療は不安により成り立っている
危ないことかもしれないが、
今一度、考えたい。
差があること、違うこと。
貧困。差別。
食べなければ死んでしまうところから道具が生まれ、
伝えなければ、残さなければ死んでしまうところから
表現が生まれた。 んじゃないか?
ちょっと古い言葉が読めないことについて。
いわゆる、新しいことにだけ気をつかってもだめ。
何があっても、なくても
変化なのだ。
字を書くときの、字の間違い方が変わってきた。
以前は、促→捉とか、困→囲とかって間違えていたのに、
将を章と間違えるような間違いが起こりはじめている・・・。
山だって、川だって、顔のシワだって
そうなって、できている。
示すものの連続というよりも、
示すものが示していないものの連続。
鏡文字のことで思い当たる。
僕が言葉だった。
疑わなすぎることを疑うようになり、
信じすぎることを信じなくなった。
細分化による不信と不許容
かどをおとす。
少しのことばと、じんわりするものが大切なんじゃないかな。
家具が家具になったのは、
作業分担のためかもしれない。
かたくなに、あなたがそもそもそうなのか。
僕がそう促してしまっているのか。
難しい。
秋にナスがおいしいことを知っている。
これは人の経験の結果だと言うが、
植物がより繁栄しやすいためにそう促した、とも言える。
後者が育む流れが、自然な流れなのだとすると、
いつでも何でも食べられるっていうことは、
危ういことなのかもしれない。
僕がやれるシンプルなことを、もっと強く持つこと。
軽やかに、でも、フワフワしてしまわない。
どこまでも日常だ。
人と植物のせめぎ合い。
南の方では特に。
今の政治家は、本来的な役割を担うための 責任感を抱いていない気がする。
信じることがあるのは良いし、個人の勝手でもあると思うけど、 わがままを言っているだけじゃないだろうか。
世界は安定していたのだろうか。
エネルギーの流れが安定していないなら、 あれほど大きな生命が生まれることはできないんじゃないか。
けっこうな数の人が、映画の影響を受けすぎている気がする。
いわゆる未来像。
映画に出てくるアレは、色んなものが欠けている(と思う)。
1を聞いて、10を知る。
ようなことを目指してはいけないと思った。
もっともっと広いと思う。
僕は一生、コンピューターを困らせることができる。
僕は求めることができるし、違うということもわかるけど、コンピューターにはそこが理解できない。まあ、これは人が理解できないということの表れであったり、理解するしないの問題じゃないことや、単位というものが世界にフィットしているものじゃないことを示していたりするのだけど。
そこらへんにあるものの、本当に正確な数値はわからない。
上があることは、人にストレスを与えている。
ストレスは嫌だってことじゃなくて、あると知っていること。
ロゼッタストーンは、一つしかない。
でも、その一つは、もともと一つだったんじゃなくて、つくろうとしてたくさん失敗した上に、今も残っている一つができたんじゃないか。
そして、失敗したものをつくるためにも、とてもたくさんの人が人生を賭けてつくっている気がする。
負荷分散しても一様に朽ちていく。
均一な時間に対し、圧縮しているだけだ。
抑制と成長はぶつかりやすい。
律することをすすんでするのが良い。
今日、Hopeを求めて歩いていったら、 Peaceにたどり着いた。新宿にて。
国は、もっと小さくなった方がきちんと機能するんじゃないか。 例えば、1000万人まで、とか。
僕と生きる、山や川
効率・効果・条件・意味
合理性は、これらとはあまり
関係がない。
車という文字の書き方・書き順は、一般的に決まっている。
なのだけど、例えば、自分の身長を超えるような、
とても大きな文字で「車」と書きたい時、
手元で書くような動きでは書くのが難しい。
体の動きに制限がある、こういうときに、
十
田
十
と書こうとするのは良いことだと思う。
カメラのフラッシュは風景とは全く関係が無いもので、風景にとっては出所不明な光なのに、ここまで標準化しているのが、ちょっと不思議。
見えにくいものを見せるためなら、マジックハンドがびよんって出てきて「これ!」って指し示すような機能とか、うっすらグリッドを入れてくれるフィルタとかがつくとかでも、そんなに大きな差が無いように思ったり。
そんなことないか。いや・・・。
音楽は、声を聞くというより
耳を知ること。
植物の生長のような動きであれば
安全性はとても高い。
あるお寺のプロジェクトに関わりかけたときに考えていたことを、中途半端ではありますが、せっかくなので公開してみます。(ネタ帳に書いてあることを振り返って公開してみるっていうのをやってみようかと思っているので、今回はそのお試しです。)
お寺が持つ全ての要素について、世代に依らないよう、
人が人として反応することを盛り込まないといけない。
色、形、それらの組み合わせによる質。
そして、それらを感じるのはあくまで「人」であり、
何かが存在しているのではない。
(厳密には、存在しているとも言える。)
・存在
・人が生きること
・宗教
感覚
思考
救うとか救われるとか
ではなく
生きていること。
本能は、存在と感覚の子である。
立ちのぼり、集まり、組合わさる。
体験は、体で受けている感覚を伴う。他者とのやりとりができるものもある。
経験は、頭で解釈されている。
身体的経験は、体で受けていることに気がつかれず、頭で解釈されていることにも気がつかれていない。それらはときに、表面化し、意識され、確信になるものだ。
毎日、塗り重ねるだけで、たぶん美しい。
電車は 安心で走っている。
乗りものの動力って、
安心感なんじゃないかな。
バルブ撮影のプレビューは未来。
正確さのために生まれずに、
不正確さのために生まれるときがある。
食 < 衣 < 住 の順に、その人と関わる時間が長い。
人は、長い時間、自分の正当性には逆らっていられない。
ある主張が、意志であるか、言い訳であるか、は難しい。
たぶん難しいのは、その主張がどの範囲のことを含んでいるのかを本人でさえ明確に理解できないからだと思う。
架空請求って結局の所は、物凄い数の人に何だかわからないけど「お金を払え」と言い、状況がたまたまマッチしてしまっている人が「まあ、そのぐらいの金額で憂いがなくなるなら・・・」と払ってしまうという、数打ちゃ当たる方式。特に精神的に追い詰まっていたりする人が払ってしまう事になり、どうにもそれは良くない。
が、架空請求っていう話の中では、上に書いた流れは非常に悪いものとされるのだけど、これってそのまま販売戦略や広告でも同じようなことが言えるときがあるような、ないような・・・。
すこし気になる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/フラクタル
http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/furactal.htm
こう見えてほしいということを
真ん中にした服のつくり方。
毛糸を使って絵本をつくりたい。
小さなものが集まって1つになっている様。
何をするにもテンポが大切
テンポの心地よさがあれば、心をつかんではなさない。
小学生の女の子が5人。
ランドセルを背負って、電話BOXで電話。
時が止まる。
「無はないが、有であるとは限らない」
20才ぐらいのとき。
「おもしろい」と「たのしい」は違う。
たのしいだけじゃだめだけど、 おもしろいなら、それでいい。
2Dを見る目、3Dを見る目、4Dを見る目
テレビを見る目は、3Dを見る目。
本を見る目は、2Dを見る目。
パソコンは両方あるはず。 ダブルクリックには3Dを期待し、 ブラウザには今のところ2D+時間を期待する。
多機能 ・人が理解しやすい ・人と人を遠ざける ・比較でおわり
単機能 ・人が考える ・人と人を近づける ・だから素晴らしい
近所の信号が何かをチェックできるマシン。
知りたい信号の周期と合わせて、自分の家に置いておき、タイミング良く家を出るとイライラが一つ減らせる。
ペットのトイレがあると良い。公共で。
同じ色・同じ形は集まりやすい。 シンメトリーもなりがち。
こういうものを上手く使えるんじゃないか。
命あるデータを大切に。