体の使い方

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20代の中頃には色んなことを考えていたが、その中で大きな関心の一つが自分の体のことだった。これは健康のことではない。身近な友人は僕が健康を害していたことを知っているが、それはある程度のトライ&エラーによって心情的には落ち着いていたし、運良く回復した。自分の体のこととは、自分の体をどう動かせているのか、ということでそこに大きな関心があった。

自分が指を、ここでは小指を動かすことを考えてみる。まず普通にやってみる。ありがたいことに五体満足なので普通に動く。それはそれで良いのだけど、ここで念力で物を動かすみたいな感じで自分の指をじっと見つめ、動けと頭で思ってみる。動かない。この2点の間をずっと探っていた。できるだけ集中するために寝転び目を瞑り、そして動けと頭で思ってみる。やっぱり動かない。で、何の気なしに動かす。ひょいと動く。これは一体。。。と未だによくわからないけど、こういうことをしていて、日常の体の使い方に意識が向くようになった。(状況を冷静な態度で思い出せば、我ながらバカみたいだが)

色々な経緯の後、大きな気づきの一つは歩くことだった。わかりやすい例を出す。これは男性の方ができていない人が多い。靴の事情が大きいのかもしれない。肩で風を切りながらあるくアッチ系の人を思い出してみてほしい。股も開いてドシドシと歩いている。あそこまで意識すればそれはそれで良いのだけど、あの足の動き。つま先が前を向いていない、大げさに言えば横を向ききっている。この想像を頭に残し自分の経験を思い起こすと、20代の前半から後半に差し掛かるに従い、足の動きが緩慢というか意思が弱いというか無いというか、進む意思はあって骨は動かしているけど肉は勝手についてきているような状態の自分を思い出せた。それでこれがどうかと言えばつまりは、自然につま先が横を向き始めていたのである。

これに気付いた時、歩くとき僕は一体何を考えていたのかと思った。何も考えていなく、ただ自然とやっていただけなのだが、そこに大きな問題を感じた。さっきの小指が動く・動かない話と同じように、家を出て駅まで行こう!と自然とやっていただけなのだが、駅まで行くという頭を使った行為であればもっと意思を反映させられるはずだ。意思がなく惰性から行為を行うから、つま先がどんどん自然と前を向かなくなったんだと思った。

そこで、歩き方を自分なりに見直してみた。僕は高校生の頃とても好んで弓道をやっていたので、足腰のバランス感覚がわりときちんと身についている。(鍛え上げて、しっかりしているという意味では無い。自分の形がどうなっているかの体験が積み重なって感覚を維持できている感じ。丹田。)そのおかげもあって、前に向かって歩くとき、つま先を前に向けしっかりと地を蹴り前へ進むことが割とスムーズに行えた。5年ぐらいはかかっただろうか、あまり意識しないでもつま先が前を向き歩くことがごく自然に身についた。この経験から思うのは、地を蹴り前へ進むように歩くととても楽で効果的、それにお腹に軽く力が入っているから全体的な姿勢としても楽ということ。

こういうことにすごいなーと思う一方で自らを省みると、母から「ピシッとしなさい」「シャンシャン歩いて」と言われていたのを思い出した。言われた当時小学生の僕はと言えば、何度も言うから気にされているとはわかるものの、正直何のために言っているのかは分かっていなかった。もう少し言えば、母が言うようにするには力が必要で維持するのが結構辛かったのを覚えている。しかし、ここに届いていない意思の疎通があったわけだ。両者の関係は至って良好(僕はそう思っている)だが、体の動きなんてごく当たり前のことだし言語化してコミュニケーションを取るのが難しいことは、当然ながら深く話題に出ることもなく時間が流れていった。

もし母と僕が、体の動きについて突っ込んだ話が出ていたなら、きっと僕は走るのが一段と早い男の子としてモテモテで今ごろは結婚して大家族だったんじゃないかと思う。謎

戯言はさておき、足の動きと自分の移動については、伝えにくいし聞き取りにくいけど、子と深く話をするべきことの一つだと思う。息子のプロが言うのだから、気楽に試してみてほしい。あとは、同じことを繰り返し言葉にしても子には伝わらないことはよく思い出すと良い。静かにしなさいを伝えたければ、こうこうだから静かにしなさい、なんて言い方をせず、他の道を考えましょう大変だろうけど。理由をつけても言ってること同じで、それは説得でしかないからね。

あと、こういう話は道具を使った行為についてはよく言及されている。鉛筆、箸、鉄棒、自転車、バットやラケット、スポーツ全般、ハサミ、針、包丁、鉈、竹うまなどなど。こっちももちろん大事だけど、これが上手くなるためのことでもあるから足も含め指、手、腕、腰など、出来るなら少しずつ順番にでも色々意識すると良いと思う。特に腰はやはり重要と思う。でも腰が一番難しいかもしれない。とにかく時間をかけて反復する必要がある。

息子のプロ

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早いものでもう40歳になった。不惑という心境に至っているとは思いがたい僕ではあるが、数年ほど時間をかけ、ようやく考えることや考えることをまとめることができる心情に戻ってきた。少しずつになるだろうがふつふつと湧き上がる考えを書いたり、20代のころ考えていたことにツッコミを入れて話を膨らませたりしてみようと思う。(まあ、まだ状況が安定しているわけではないので、かなり不定期になるかもですが、なにとぞ生温かく。。。)

僕は40歳にもなったのに子を持つどころか結婚にもまだ至っていない。結婚したい気持ちは10年以上変わらず持っているが、なかなか難しいものだ。周りの友人たちがどんどんと父や母になっていっているのをみて、焦るような気持ちは出てこないものの、相変わらず僕は外れているなと改めて自分のいる位置を確認しているようなこの頃です。

さて、人が生まれて育ち大きくなって恋をして愛を育み親になる、こういう人生の、人間の成長の流れがある。20代に親になれば、40代にはもう親歴20年、子も20歳という状態である。一方、僕はといえば40歳までずっと息子だ。これはもう息子のプロと言っても差し支えないと自己を正当化したい。自分がある面で結果を残せていないことを擁護したいわけではないのだが、息子のプロでやってきたからこそ、とても冷静に自分を見ていることは想像してもらえるのではないだろうか。そんな息子のプロな僕には子の将来にとって必要じゃ無いかと思うことがいくつかある。真っ当に親になった皆さま、アマチュアな子の皆さまにとって、有意義な内容になっているかどうかはわかりませんが、まあそういう観点もあるかと思って読んでもらえたら幸いです。

※写真はたんぽぽ。最近、妙に写真にはまっている。