電気を作る仕事をつくる / Making Job Anybody Can Make Electricity

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近頃、興味がある方向で、考えている企画をひとつ。

これ自体を思いついたのは結構前で、思いついた当時面白そうだとは思ったんですが、それほど深く考えていませんでした。が、少し前に書いた紙の話を考えていたときに繋がりが深かったので、この手のプロジェクトは良いかもと思い、いくつか思いついた内の初めの、これからまとめてみました。

この企画は、ビル単位での電気に関することです。そんなに複雑な話ではありません。ビルでは人が住んだり働いたりしています。とにかく色んな人にビルは使われています。そして、その中では必ず電気を使っています。そこで、そのビルに関わる幾人かの人で、その電気をまかなうことはできないだろうか、と思いました。で、上の絵の様に、屋上(じゃなくても良いですが)に自転車(じゃなくても良いですが)が置いてあって、それをこいで自家発電です。そのために人を雇うってのも良いです。

紙の作り方についての、木や紙の移動を少なくすることに軸を置いた作り方と同じ発想で、電気もその場で作れるなら、それが一番良いと思ったのです。エネルギーを作る行為としては、確かに効率的ではないかもしれません。でも、エネルギーを作ることにまつわる社会の流れに、より良い循環を生む可能性は大いにあると思っています。それはそのまま、使い方にも影響がある。膨れ上がった物事がシェイプされていくこともあるでしょう。

今、僕たちが接している技術には、便利なものがたくさんあります。誰かしかできなかったこと、ものすごく手間のかかっていたことを、とても効率的にやれるようになっている。そんな、今ようやく手にすることができた技術をもって、今まで軸になっていた効率性を別の良さに変換できれば、色んなことがぱっと明るくなるんじゃないかと思っています。

何においても、動かすためだけに使うエネルギーというのは、色々と差し引くと結局無駄が多かったり健全さが欠けているような気がします。集めて一気に作って各地へ届けることより、使う場所でそれぞれが作り賄うことを大切にする。この手のプロジェクトと書いたのは、こういう方向性で、社会の中でやれることがあるという括りのことです。やれそうなことは、とてもたくさんあるだろう、と思います。

山の上の白 / The White in A Mountain

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久々に、考えてる企画を一つ。(今回は、今までの企画とはジャンルが違うものですが)

数年前、サイン計画の一環として、利用者とどこでどのようにコミュニケーションを取れるのか、ということを考えていたところ、思いつきました。かなり曖昧な想定ですが、こういう状況はあると思うし、こういう切り口で考えるという意味では、色んなところで考えられそうだなと思っています。

山の中に、真っ白い建築物ができるとします。それが何らかの機能を有する、というと固い表現ですが、まあ、何らかの場所になるわけです。その場所の持つ印象の方向性はどこで決まってくるかということを考えると、利用者がその建物をはじめて目にした、そのときなのだろうと思いました。

山の中にあるその建物を初めて目にするシチュエーションについては、場所特有の状況がその土地のそれぞれにあるのですが、山の中で、と考えてみると、山のくねくねした道を登っていって、あるカーブを曲がった瞬間、真新しく、真っ白い建物が姿を現す、というような想像をしました。

この瞬間、コミュニケーションが存在します。見たことも無い形状の建物か、姿がはっきりしない建物か、今回の話の中でそのあたりは定かではありませんが、見た人はその視界において如何ようにか認識をし、何かしらの印象を抱きます。

そこで今回考えたのは、その真新しさから始まるよそよそしい印象を抱かせない工夫というのは無いだろうか、ということです。例えば、最先端な研究施設とか、間口の広い使われ方を目指さないというような建物ならば、そんな工夫は全く必要ないのですが、便利な場所では無いけど良い場所だから是非訪れてほしいと思うなら有効であると思っています。

具体的に行うデザインはシンプルです。建物という大きなものは、山の中の風景を遮ります。そのため、真新しい、という印象がより強く表れます。なので、山際や山の端といった、いわゆる稜線がすぱっと途切れてしまわないよう、(上の写真のように)稜線の続きに沿って、外壁を塗るだけです。視界の中での真新しさが軽減し、新しいものに対する抵抗感が和らぎ、違和感が少なかったり、他の特徴がより浮き立つと考えたわけです。

「山の上の白」という名前については、真新しい真っ白な建物にとっては嫌らしすぎて似合わないと思いますが、何か馴染んでいる、馴染もうとしている建物にとっては、違和感の無い名前になると思います。(坂の上の雲という本と名前が似てますが)

これは、特別な技術や多くの費用を必要としないデザインです。精度は高い方がより良いですが、遠距離の、一瞬の印象なので、線の厳密さよりも、色の使い方が肝になると思います。あまりはっきりとした色を使うと、近づいたときにきつく嫌らしいので、多くの人が白であると認識できる程度の色で塗り分けるか、でこぼことツルツルの質感などで切り分けられると良さそうです。

sample_MG_4137_2_moto.jpg *真新しい印象は、こんな感じ。

adusr

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3年ぐらい前から、ずーっと考えてる企画があるんですが、どうにも形になりません。いや、形にならないというより、どういう団体・機関がやれば良いのかがわからないって感じです。規模的に僕個人じゃどうにもならなそうだし。なので、とりあえず書いてみようと思います。

インターネットが信頼を得られるよう、どうやって、インターネットを通して世の中に影響を生めば良いのかと考えていました。そこで思い付いたのが「adusr」です。IT業界の専門用語で同じ綴りの言葉があるのですが、僕が思い付いたのは、ad(広告)とuser(みんな)です。

ある人たちが何かを思いついたとします。でも、思っているだけではそれは実現しません。お金があれば叶えられることもありますし、人脈があれば影響を及ぼすこともできますが、そうじゃない人が実現するには結構な壁があるのです。でも、何かに対して同じようなことを考えている人って結構いるんじゃないかと思います。なので、そういう思いたちを広告してはどうかと思ったのです。今や、広告と言えば、企業や団体のもの、つまり作り手のものとなっていますが、使い手のものとして広告を使ってはどうかと思ったのです。広告をみんなのものに。です。

例えば、新聞や雑誌、テレビや看板など、今までの広告はやはり使い手の人が使うものとしては不適切でした。広告したところで、その広告により得られる効果が多額な予算と釣り合わないと想像できてしまうことは、不適切である大きな原因の一つでしょう。なので、adusrというWEBサイトをつくり、そこを通してある意見の賛同者を募り、さらに広告を使いそれを広げて、社会に影響を及ぼそうという企画です。

まず、adusrのWEBサイトで意見を募ります。意見を出したい人は、一口500円とかのお金をadusrに支払います。その集まったお金でインターネット上の広告枠(YahooやMSNなど)を買い、意見を世の中に発信します。その広告枠からadusr内の意見が集まったページにアクセスを促し、さらに意見をまとめあげ、意見を実現していきます。大まかにはこんな感じです。adusrにより、今までの広告に比べれば安価に自分の意見を出すことができますし、意見が集まったページから、個々の意見者のブログへアクセスできたりするのも良いと思います。

この企画は、進めれば進める程、いくつもの大きな問題(お金のことや個人情報のことや企業とのことや・・・)に直面しそうですが、もし実現すれば面白そうだなぁと思います。Yahooがやっても良い気がしますが、ちょっとえこひいきしてる印象が生まれそうなので、やっぱり独立して新しい団体がやるべきだなと思います。でも、バッシングすごそう(苦笑)。企業の悪口を集めるっていう面もありますからね。公の機関の方が良いかもしれませんね。

ロゴをつくったときに考えていたのは、赤十字が病院の象徴としてあるように、黒十字が価値観の救いどころの象徴みたいになると良いなと思った次第です。黒くても怖い印象にはしたくないなって思いました。ちょろっとはみでてるのは、安直ですがメジャー(測るもの)を意識しました。ちなみに、このロゴは、以前お伝えしたlogo a lotという本に掲載して頂きました。

縫い目から 溢れでる / Nuimekara Afurederu(Swarmings from seams)

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考えているというか、少しやりはじめました。僕企画。

「縫い目から溢れでる」

僕は植物の作品が多いので、居場所があると嬉しい訳です。なので、縫い目から溢れださせてみようと思い、はじめました。まずはカバンから。今までの植物が登場したり、進化したり、色々な予定です。一つずつ熱で圧着しているので、同じものは二度とできません(たぶん)。が、なにぶん、手は二つしかないので、そんなに頻繁にどうにかなる気はしていません(苦笑)。もし、もしも欲しい方がいらっしゃったらメールください。ベースのカバンは今後も色々と変わると思います。たぶん、よりしっかりしたカバンを探して使うと思うので、もう少し値段があがるかも。です。こんなやつ欲しい!っていうのがあれば、コメントでお願いします。優良カバン情報は大歓迎です!

今、出来上がっているカバンはこちら。

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I started my project.

"Nuimekara Afurederu"(Swarmings from seams)

My works are glad that there are many spots to grow. Firstly it is bags.

Please go to the page to see some bags what I have created now.

僕らとテレビの間 / Between Us And Television

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最近、テレビは大きくなりました。でも、部屋が広くなったわけじゃありません。そこに、テレビと人の関係の変化が想像できます。近年のインターネットの普及も手伝い、変わってしまった僕らの"間"を見直す機会が、いまここに、やって来ています。

今回考えたのは大きく二つ。大画面の映像を見るために必要な空間を保つため、収納により空間をつくった、その空間を何に使うのか。また、記憶と記録の仕方が変わったことによる、テレビの使い方の変化にどう対応するのか。この二つに焦点をあてました。
 
 
A案


テレビが大きくなったために新しくできたスペースは主に動線として機能していることが多いです。ただ、メインの動線としては使えません。なら、そこに緑を置いたって、そこで野菜を育てたって良いはず。ポイントは、基本的に低くいられるもの、かつ、いくつか置いても動線としての機能を失わないものと考え、図のような状態は素敵かもと思いました。
 
 
B案


今まで肘をついて見ていられたテレビ。今まで様々なもののデジタル化の影響で変わってしまった人の記憶と記録に関わる変化により、ただぼーっと見ることができる、いわゆる娯楽としてのテレビから、何かの情報を得ようと目的を持って観るテレビに変わっています。今までの「人 ⇔ 机 ⇔ テレビ」の関係ではいられません。B案はその変化のための案です。

例えば、映画館の座席には飲物ホルダーがあります。色んなシチュエーションを含む自分の部屋の中では、固定した置き場ではなく、いつも寄り添ってくれる、そんな置き場があると良いなと考えました。

小机。いつでもどこでもついてきてくれます。高さも調整できるから、ソファやベッドにフィットさせることもできます。

iPod & PSP

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数週間、iPodやPSPに思いを馳せていました。それらが世界中に散らばって存在している様を想像していたら、まるで、小さな生き物のように思えてきました。

そう感じるという事は生き物としての素養はあるのだろうに、実際はとてもハイテクで、手に取るとやっぱり生き物には見えないし、例えば人が使っている様子を間近に見てもやっぱり生き物には見えない。
でも、もしかして、一つ何かをすれば、生きてはいないけど、さも生き物であるかのような存在に近づける事ができるんじゃないかと思ったのです。

無機物を有機的な存在にするために、目や口をつけてみようかとも思ったのですが、従来的な生物の要素を付け加えた所で、それは単なるキャラクター化にすぎません。何らかのはっきりとした形をした要素を与えるのではない方法が必要だと考えました。

僕は時々、ムシみたいな気持ちになって絵を描きます。それは、何かを描いてるわけではない、表現の対象の無い絵です。でも、描き上がったものを観た時や描いている途中、何故か生命を感じるのです。きっと、かっこ良いわけでもかわいいわけでもなく、画一でもないその様相が、僕が生命を見るときの視点を、僕に与えているんだと思います。

人は、見ようと思って何かを見るとき、無意識に視点を変えています。
「見る対象をある範囲の中のものであると認識(期待)し、その範囲の中で見ようと思って見る」のです。
その視点は、当然、無機物を見るときと有機物を見るときでは、認識している範囲が違うのです。

そこで、僕の描く絵で薄い膜をつくり、無機物を覆ったとき、その無機物は有機物に見えるんじゃないかと思ったのです。つまり、これで生物としての存在感を得られるんじゃないかと考えました。


可能なら、全世界のiPodとPSP全てに、それぞれ違った膜を用意してあげたいです。同じような模様で何パターンか用意して、何パターンあるのかはユーザーには伝えずに売るのも良さそうです。ユーザーはシールを買うとき、パターンがあることには気がつかないのですが、友人のiPodを見たとき、自分のと違う事に何となく気がつきます。種族は同じだけど、自分のものと他人のものとは違うものであるという認識を持たせることをしてみたいのです。

価値あるゴミ / Worthful Dust

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4/20に発行されたcinra magazine vol.13に僕の記事が載ってます。「特集 それでも、東京に住みつづける」というコーナーの「東京に住みつづける方法」という、19人の方法論が書かれたうちの1人が僕です。

せっかくなので、どういう話からはじまってるかも書いておきます。(まずかったら言ってください>杉浦さん)

■お題
これは現在の東京が抱えている慢性的な土地不足から導き出されるフラットな都市計画への問題提起です。こういった問題に対して、cinra編集部は従来のような大型建築や都市計画ではなく、個々人の住空間や建築空間に対する意識=「想像力」こそが有効ではないかと考えます。都市の中でそれぞれがしたたかに生き抜くためサバイバル術。個人の想像力が生み出すオルタナティブな生き方の可能性を探ります。

■僕の答え
住空間に対する意識として、僕が提示していきたいのは、「なるべく綺麗な部屋で生活しよう。」ということです。この荒んだ世の中の一因に、物が溢れてしまったがためのゴミの増加があるのだと思っています。ただ、個々人の生活の中でさえ、掃除をすることの負担はそれほど小さくありません。今回は、個々人の直接的な工夫というよりも、工夫を考え実現できる仕組みとしての世の中を想像し、この負担と昨今話題のゴミ問題とを絡めた提案を考えました。

今、家庭ゴミは一定の場所に集めてそれを収集する仕組みをとっています。東京に住んでいて思うのですが、ゴミに関しては、でたらめなゴミの出し方を目にしたり、回収日が少なく出したいゴミが出しにくいなど、何かがおかしいと感じることが多いのです。個人の責任問題ももちろんあるとは思うのですが、ただこの現状をつくり出しているのは今ある仕組みと人々であることもきちんと捉えなくてはなりません。仕組みと人とゴミという3つの要素について考えました。

ゴミは、性質上、この世から無くすことは難しいと考えます。残る、仕組みと人ですが、今の仕組みの中にいるから、人の今の行為があり、今の現状があるとすると、先に変えることが容易なのは仕組みの方では無いかと考えました。そこで、ゴミを集めてまわる行為をやめて、持ってこさせる仕組みづくりを考えました。

まず、根本の考え方としては、この世から無くすことが難しい「ゴミ」というものを処理するために使うエネルギーは、同じように無くすことが難しいものであった方が良いということです。この案では、電車での通勤のエネルギーを使います。簡単な話です。通勤する人々は少量のゴミを持って駅へ行き、そこで集めるのです。

ここで注意が必要なのは、ただ持ってこいといわれても、面倒だという反対を受けてしまうことです。なので、ゴミに価値を与えます。ゴミを通勤のための運賃の代わりとするのです。(午前中の運賃を通常のお金で払う場合は高い運賃とするなど、なるべく代替しにくいような仕組みが必要です。)価値の大小は大きさには依りません。(最低限の大きさは必要とする。)

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対象となるのは、燃やすゴミと燃やせないゴミ、カン・ペットボトルなど、袋に入れて片手で持てるレベルのものです。(その他は今の回収法でも良い。)
そして、ゴミ袋としては、今最も多いだろうコンビニやスーパーの袋が大きさとしては適当です。あとは、現状の運賃相当になるよう、このゴミ袋に適当な値段をつけます。運賃の代わりに袋代がかさむのであれば、個人としては納得しやすいと考えます。
その日にゴミが無い人は、通勤しない人のゴミを持って行ってあげるような仕組みも良いかもしませんね。あと、駅で集まったゴミたちは通勤の人たちがたくさん乗る電車で運べるようにすれば、ある場所に効率的に集める事もできそうですね。

今回の提案によりつくり出す、大まかな流れは以上です。以下は補足的な説明です。

「ゴミ」は、ゴミに変わった瞬間から時間が経てば経つほど、嫌なものに変わっていきます。毎日ゴミを運ぶことで、この変化を最小限にとどめることになり、より運びやすくもなります。また運ばなければならない「ゴミ」であれば、運びやすいような工夫をはじめます。これが結果的に生活の中に清潔さを導くと考えています。

また、リサイクルに関しても、今までの曖昧な仕組みに乗っかった抑圧的な投げかけではなく、この方法をもって「ゴミ」をきちんとコントロールできるようになり、今までよりも効率良く、様々なものがリサイクル可能になるのではないでしょうか。今、集める事に使っている労力を分別する方に傾ければきっとできるはずです。


おしまい。
杉浦さん。寄稿のお話ありがとうでした!楽しかったです。また何かあれば是非!

こんなアンケート結果も出てます。賛否両論。

車の問題 / The Problem of Car

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僕は車を運転できません。あと、車にひかれたことがあります。だからというわけでもなく、昔から興味があんまりありません。単なる移動手段の域を出ないのです。だから、車の本当に良い所は見えていないかもしれませんが、逆に、本当に良い所を実感している人の見えない(見ようとしない)部分を見ているように思います。

ここしばらく車について考えていました。流線型自体は美しいと思うのですが、車という形になると結構げんなりします(完全に好みですが、かわいい車は好きです。乗りたい!とは別に思いませんけど。)。また、最近では昔ほど、ステータスとしての車って口にされなくなっていますが、意識としてはまだまだ強く残っているように感じます。車は容姿以外にもいろいろと憧れる対象を持っているわけです。その結果、これだけ大きな産業に発展しています。だから、どれだけ交通事故があろうとも、どれだけ石油を使おうとも、どれだけ工場が空気を汚そうとも、産業自体がそれほど大きく世間から叩かれることはないのでしょう。もちろん環境問題については、工場側はたゆまぬ努力を続けていると思います。CO2の排出量が増えていないという報告をどこかで目にしました(とはいえ、減ってないのは問題だと思いますけど)。まあ、何にしてもここまで生活に食い込んでいる車を無くすことは難しいのをひしひしと感じます。僕もバスとかタクシーとかは当たり前のように使ってますし。

今さら言うまでもない話ですが、車もガソリンから電気の時代に変わってきています。その影響で、音が出ない車(いわゆるエコカーってやつ)は歩行者には危ないんじゃないかという問題が浮上しているようです。この問題は今後もっと強く意識されていきそうです。そして環境に対する人類の意識から考えると、ガソリンで走る車はどんどん減っていくでしょう。

そこで思い付きました。この企画は、この問題を解決しつつ、とても憧れられないような要素を自動車に与えることで、自動車の意義をもう一度考え直すきっかけになります。

電気自動車のタイヤのホイールに、オルゴールみたいな曲が流れる仕組みをしこみます。低速だと低音・スローテンポ、高速だと高音・ハイテンポです。曲目は自分では選べません。とおりゃんせとか、おお牧場は緑とか。あ、滝廉太郎が良いとかは選べると良いですね。Jポップとかヒップホップとかはありません。クラシックはOKです。ちなみに、ステレオです。高級なサラウンドタイプもご用意。夜は音量が下がらずに上がります。深夜は少し下げても良いです。とにかく、滑稽さと迷惑さを兼ね備えています。まあ、迷惑度は今とそれほど変わらないかなと思います。

これで、車に対する憧れを抑え、電気自動車ならガソリン車の方が良いやと思わせます。あとは、メーカーがどんどん電気自動車に移行していけば、消費者は考えます。本当に車が必要なのか。これは新しいニーズとなって、新しい移動手段が出てきやすくなるのではと考えました。

自動車メーカーはとても大きな力を持っているのだから、とにかく快適さを追うことから少し離れて、新しい仕組みを想像してくれることを僕は望みます。

Face of Food

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プリンとチーズ

偶然見えるものがあることが、僕は好きです。
今回の企画は、インターネットのお話ではないです。大人向けというよりも、子供向けの企画です。上の写真はプリンとチーズです。

均一な製品をつくり出す技術というのは、本当に素晴らしいことだと思うのですが、様々なものが均一であることは、「あるものに対して当たり前なことかどうか」という疑問すら無い状態の人々を増やしているように感じます。

最近の子供向け食べ物のパッケージの風潮は「楽しい雰囲気で」とか「アンパンマンで」とかが多いです。僕もアンパンマンは好きだし、悪いとは言わないのですが、欲しいものを欲しいと言えば欲しい状態で手に入ってしまうことについては、僕はあまり良しと思っていません。

そこで、ふとプリンを開けた時、顔ができてたりすると、ちょっと嬉しいかもと思って考えました。さも気泡でできたかのように、顔になっていると良いです。色んな顔があったり、はたまた無かったりってのも均一感が薄くて良いかもしれません。あと両手の甲が見えているパッケージにすると、「いない、いない、バア!」になって、楽しそうで良いかなって思いました。

Face of Food

僕は子供がいないのでわからないのですが、こういうのって、好きそうじゃ無いですか?そうでもないですか?
是非、どっかのメーカーさんにやっていただきたいです。なんなら、豆腐屋さんでも良いです。これで豆腐が子供に大人気になったりするかもしれません。

2 robots on a beach

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2 robots on a beach

ロボットは組み込まれたプログラム通り動くのが基本です。僕はロボットに関する知識は乏しいですが、ロボットではやりにくいことが何かは何となく知っています。「それがそれだとわかること」 これが一番難しいことだと思っています。ロボットに「それがそれだとわかること」をさせるためには、対象物の情報をプログラムに組み込むというやり方だけでなく、根本的な流れや環境から変えていく必要があると考えます。しかし、根本的な流れや環境を変えることが難しいことは、この世にはとても多くあると思っています。そして、それがそれだとわからないと、ロボットに対して命令することはできないと思っています。

そこで、そのロボットが苦手な部分を人間が上手く補佐しながら、何かできないかと考えていたところ、思いついたのがこの「2 robots on a beach」です。

この2体のロボットは、1体がゴミを拾う機能、もう1体がゴミを受け取る機能をそれぞれ有しています。そして、常に行動を共にしながら、ある海辺のゴミを拾い集めていくのです。そして、人間の補佐は、この「ゴミを拾う」というところに関わってきます。人間が目視して、「これがゴミだよ」と教えてあげることで、ロボットはそれがゴミだとわかり、ゴミを集めることができるようになります。

ここで問題なのが、「人間が指示する」というところですが、これをインターネットの不特定多数の人間により行うことを考えました。個々の持つ僅かな時間を集めて、目的を達成しようと言う試みです。

少し具体的に書くと、専用のWEBサイトを用意し、そこにロボットに付けたカメラからの映像を映します。映像を見ながら、ユーザーはゴミをクリックします。そうすると、指示された位置の座標が計算され、現地のロボットに送信され、移動して拾うわけです。ロボットは自分がそれを拾うことができるのかという判断をして、無理ならその情報をサーバに返します。
WEBサイトなので、同時に相当数のユーザーがアクセスすることになりますが、計算された座標はサーバに蓄積され、定期的にロボットに送られるようにすることで、ゴミをどんどん拾っていくことができます。

ユーザーとしては、環境に対して何かできないかと思っている人を想定しています。ただ、インターネット経由でロボットを操作できるということに対する興味を多くの人が抱いてくれるのではないかと思っています。

ここで、何故ゴミ集めなのかを書いておきます。環境を綺麗にする目的というのももちろんあるのですが、インターネットがあるおかげでこの労働力の集積が実現するのです。その労働力の結果としては、「個体への利益が無い」「危険が無い」というのが必須だと考えました。それは、まだインターネットに対する人間の意識が根付いていないため、悪戯や不平不満が生まれやすいと考えたためです。これを通して、「社会に対し影響を与えることができるインターネット」という一面を少しでもつくることができたら良いと思っています。

ちなみに2体にしたのは、監視し合えることや、1体にすることの方がコストがかかるのではという想像から考えました。あとは、何となく、2体のロボットが寄り添いがんばっている情景ができることで、いわゆるロボットによる自動化ではない状態を示せるのではないかという思いもあります。

この企画が発展する先には、ごみの分別とか下水道の検査とか、不特定多数ではなくなるかもしれませんが、ある資格を有する人を対象に例えば地雷除去など、普通の人間にとって大きな危険があったり、やってもやってもキリがないようなことを、労働力の集積とロボットとの恊働を通して問題を解決していけたらと思っています。個人的にはジャングルとか海底探検なんかも楽しそうだなって思います。

最後に。
今回僕がつくったのは、企画の草案とロゴとイメージだけです。あとこの企画に必要そうなのは、こんな感じだと思います。
・ロボット開発
・ロボットに指示を出すインターフェイス開発
・WEBサイト構築
・運営及び管理機関の設立

道のりは長そうです・・・。

ead - email as dialogue

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今回の企画は、「偏った使われ方ではなく、使用可能な人ほぼ全員が使うようなサービス」の方を考えました。企画を考えながら、ロゴだけつくりました。

携帯電話は、僕が言うまでもなく、世間にしっかりと浸透をしていると実感しています。また、先日のニュースでモバゲーという携帯電話向けのWEBサイトが1日2億PV(2006年12月時点。会員数259万人、月間PV48億6700万)を突破したと聞き、人によっては使っていないi-modeもそれだけの人数が使っているのだと感心しました。しかし、モバゲーの利用者の中心は10代です。これだけたくさんの人が使っている携帯電話ですから、もっと幅の広いものがあるだろうと思うわけです。

このeadとは、日本語で言うと、「対話としてのメール」という意味です。僕らは生活の中で何かわからないことを知人に聞いて解決したりします。パソコンを使っている人にとっては、その「何かわからないこと」の聞き先として、GoogleやYahooがあり多くの方に利用されています。ただ、パソコンを使ってインターネットを利用している人の数は、インターネットを使っている人の中では恐らく半分に満たないのではないかと(勝手に想像して)思っています。ちなみにGoogleやYahooは携帯電話でも使えますが、画面の小ささやi-modeなどの使用という壁があり、それほど多くの人は利用していないと考えています。
そこで、何かわからないことがあったとき、友達にメールで聞くのと同じように、知りたいことを教えてくれるサービスがあれば、便利に使えるのではないかと考えました。ただし、何でもかんでも聞けるというサービスではありません。それは、Googleのメールサービスで既にあります(g@google.jpに調べたい言葉をメールすると検索結果が返ってきます。)し、何でもかんでも聞ける状態は、欲しい答えがなかなか手に入りません。というわけで、絞った事柄に対して、それを実現した方が良いと考えました。
僕が聞けると良いなと思うことを以下に挙げておきます。これらを考えた基準は、如何に生活に密着した情報かどうかということです。
・電車の時刻表など交通機関の情報
・お店、機関の営業時間や営業日
・ゴミの日
・国語辞典、和英辞典
・英和辞典
・歴史の出来事
・知人の連絡先
・出版物、製品の発売日や詳細
・映画、イベントの日程や詳細

最後にこの企画について簡単に書きますと、会話の途中で「あれって何だっけ?」となるようなことが携帯電話のメールで聞けるとよいなと思ったということです。

っていうのを考えていたら、ニワンゴという会社が2006年からやっていました。西村博之と発想が同じなのか・・・。ちょっと考え直した方が良いような悪いような・・・。とりあえず、このニワンゴ使ってみようと思います。しかし、この2ちゃんねるらしいイメージづくりが、僕はどうにも好きになれない。デザインがというよりも、あの特有の言葉遣いが特に苦手です。
ちなみにニワンゴは最近ちょっと話題になったニコニコ動画(β)をつくった会社です。あれもちょっと考え方が似ていると感じました・・・。

考えている企画 / Thinking Projects

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これから、僕が考えていた企画をjournalでちょこちょこと書いていきます。僕はお金がないので、どなたかこの企画を一緒にやりませんか?とは言えませんが、もし興味をもてた方がいらっしゃったら反応してもらえると嬉しいなと思って書きはじめてみます。自分の中にあるがどうすりゃいいのやらと止まっていることがたくさんあるので、出してみてまた考えたり、全く別のことを考えたりしようって思ったのです。

morld.jpをやっている動機でも書きましたが、僕は「インターネットに対する世間の意識」を今とは違うものにしたいと考えています。多くの人がリアルな社会とインターネットの社会を別のものとして捉えています。そして、リアルな社会の中での普段の立ち振る舞いが、インターネットの中では(恐らく意識せずに)できていないことを僕は問題視しています。
インターネットの世界はヴァーチャルであるとよく書かれていたりしますが、あれは嘘です(僕はそう思う。一部の側面から見ると事実でしょうけど。)。その意識せずに普段とは明らかに違うことをしてしまう行為は、確実にその人に影響を与えていると思っています。とても端的に書くと、自分の生活の中で、丁寧さを無くしてしまう状態になるべきではないということです。
しかし、インターネットに対する信頼が無いという現状を変えていかないと丁寧にもなれないと感じています。そして、そこまで信頼できないものをここまで生活に深く関わらせているわけですから、そこをきちんと意識しておかないと、リアルな社会にも大きく影響が出てくると考えています。(すでに出てきていると感じています。)

そこで、今僕は方向として二つ考えています。一つは偏った使われ方ではなく、使用可能な人ほぼ全員が使うようなサービスを考えることと。もう一つは、偏っていてもインターネットを使ったサービスが、リアルな世界に対して、誰もが目に見える形で何かしら変化を与えること。この二つの方向性を持って、インターネットに対して信頼することと、インターネットの社会とリアルな社会という二つに分かれるものではないということが意識されていくと良いなと思っています。
ちなみに、前者はとても難しいと思います。ある土壌があっての「使いたい」というモチベーションだと思うので。とはいえ、無ければ使うかどうかすら考えないので、少しずつでも考えていきたいです。