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食べる 食べない 飲む 飲まない と、また雑感

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この前、友達と話をしていて気がつきました。自分を変えず細かく気にしながら生きるか、なるべく気にしないでいられるよう変わる努力をするか、のどちらかをやっていくしかないのかもなと思いました。

僕は後者でやっていきます。まず僕の立場を考えました。成人男性。健康です。妻子はありません。進んでやるというわけじゃないけど、こういう傾向で過ごしていこうと思っていることがあります。

僕は、東の地方で作られたものを飲みますし食べます。

僕は、西の地方で作られたものを飲みませんし食べません。

これは放射能のことを思うと逆行していますが、そうしないと成り立てない社会があると思って、こういうことを考えています。

悲しいこと辛いこと、今回は色々省いて、生活のことに焦点を当てます。日本は多くのお金を失いました。その上、放射能の影響で、これからお金を稼ぐ手段は以前よりも限られてくるのでしょう。外国に物を売ることの難しさは相当なものになるんじゃないかと想像しています。物が売れないなら、海外で仕事を完結させて儲けるか、技術や知識、データなんかを売るしかないのですが、みんながそれに従事できる訳も無く、売るしかない人の物は僕らが買わないとやっていけないんでしょう。そこで、極力危険の無いかたちで物を売ってもらうには、ごまかさせないことが必要です。買わない要らないって言っていると、伝言ゲームをきっかけにしたごまかし(勘違いもある)が必ず起こります。それを如何に起こさせないか、正直にやっていってもらうかというのは、買う側が一歩前に出て、買うからちゃんと話をしようという姿勢がとても大切だと思います。それでもだます人はいると思いますが、そういう人ばかりじゃない。それもまた間違いないです。

ごまかしが起こるとどうなるかについて想像してみます。加工食品で全国流通している製品ってたくさんあります。どこで作られたかによって健康に害をなすかどうかが決まってくるという話もあるので、今までもあったような、つくられたのは東だけど詰めたのは西で、それが東に運ばれて西の物として売られるような状態になるかもしれない。売れるためならそういう手段もあり得るんでしょう。まともな判断だと東で物がつくれないという。企業は全部難しい課題を負うことになります。特に大きい企業は、たくさんのものを効率よく動かす能力があるので、せっぱつまればそういう選択を選んでしまいがちだと思います。

また、一概には言えないことなのだけど、地元を遠く離れて暮らしたことの無い方が実感していないことがあります。採れた地域から遠く離れられない食べ物があるということ。これは、逆に言うと、近くの物を食べているということ。この流れから逃れることはなかなかに難しい。東にいれば東の物を、西にいれば西の物を食べる機会は多いのです。

 

ここからはもっと雑多なお話です。昔に書いたことから膨らんだこと、この頃思った脈略がありそうななさそうなこと、つらつらと。

少し、ぼんやりした気持ちの話をします。僕は、確率の話を%の大小のみで判断しないことが必要だと思っています。10%発ガンする可能性がある、というのはあるってこと。まあ、発ガンするもんだと思うのです。でももちろん、無いってこともある。

無いからいいやとか、あるから怖い逃げなきゃとか思うのはちょっと違っていて、あるから怖いけど無いこともある、少なくとも僕自身の立場を考えれば、無いことの方が大きい。そう思えるのなら、危険性の高い人よりは僕のような立場の人が吸収していくのが良い。そういう立場であると思っています。そんな風に考えれば、難しいことが一つ減るのです。

こういう話は、本当は面と向って色んな方と話をしたい。でも、あまり動揺させるのも好きじゃないし、僕の意見がマイノリティとか、おせっかいだと強く感じられる方もいらっしゃると思います。僕のこのおせっかい、みんなの賛成反対はどちらでも構わないけど、どうやったらみんなの中にしっかり入って、考えてもらえるのだろうかと考えたとき、なるべく冷静に見られるであろう環境は、文字にして置いておくことだと思ってここに書いています。

続けて、もう少し僕の個人的な今の判断を書いておきます。

僕は関東では子育てをしないつもりです。僕は、必要性があるなら、自分の子と暮らせなくても良いと思っています。一緒にいられるならいた方が良いのは間違いないです。放棄するような意味合いでもありません。ただ自分の子を守りたいとはやっぱり思います。僕や僕の家族の事情で、僕が関東にいる状態だとしても、その事情のせいで自分の子が危険な状況になるのは、やっぱり嫌だ。どのぐらいの影響があるかはもちろんわかりません。変な徒労になるかもしれない。それでも、数字を根拠に何もしないで、問題があったらどうしましょうか。どうもできないんですよね。僕と暮らすがために、その子が死んでしまうなんて、僕は嫌です。

結婚さえしていない僕が言っても、当事者感が無いと思われるかもですが、親とそれほど長い時間を暮らしていない子であったという、逆の実感が僕にはあり(そのときどうだったかはあんまり覚えていませんが)、こんな風に考えるのかもしれません。

結婚して子ができる、っていう幸運なことが、これから僕の人生にあるかどうかはわかりませんが、あると良いなと思いながら。まあ、状況次第だし、奥さんになる人に説得されれば、あっさり変わるかもしれませんが。笑

福島の方々が放射能の対応を国に求めています。基準値もそうだけど、やり方も、それにかかるお金も。これをみて、求めていない人みんなが受け止めることだよなと思った。だって、国が対処するということは、国の税金で賄うってことでしょ。当然そうするしかないと思う。

のだけども、一方で、国が福島周辺全ての人が害無く暮らせるよう手段をとるためのお金を持っているとは思えない。これは税金が無い、つまり僕らにそんなお金は無いんじゃないかというところから思っている。

東京電力を潰してしまえという話も似たような話で、潰すことで何が起るかというと、価値のあった紙に価値がなくなるという事態になるってことじゃないのかな・・・。それは、持っていた50兆円を35兆円にしようってことだと思う。税金が無いのに加え、あったはずのものを無かったことにするのは、やっぱり厳しい。本当を言えば、先送った価値を手元に寄せて、未来の僕らと綱引きをしているだけなのだから、厳しくなるのが真っ当なのだとは思う。なのだけど、お金は無いし、状況も悪い。こんなときに悪かったことを一掃するように無かったことに戻すと何が起るかといえば、細かくは全くわからないけど、日本全国で困る人がたくさんでるんでしょう。僕もきっと生活には困ることになるのだと思う。

上のような状況を考えると、福島の方々はふるさとから離れることを前提に話を進めないと、放射能の影響は受けなくなったのに、最低限ですら生活が成り立たないという状況もあり得るのだと思う。ここで僕が思う最低限の生活というのは、税金で整備する教育は受けられるがそれ以上は独学をもってやる以外にない、ぐらいの生活を思い描いている。娯楽はもっと身近でやっていき、観光を促しそれを受けないと食べていけない社会の構造も変えないとぐらいに思っている。旅行って良いものだと思うけど、やっぱり無理が大きいと思うのです。エネルギーの問題以上に、それに頼る人が出てくるから。そうして流行り廃りで一喜一憂することを基盤にした生活は、どうも困ることが多いように思うのです。

家族同士の喧嘩、基本的には甘えなのだと思う。赤の他人には言わないことで怒ることが多い。甘えられるから怒れる。怒っている方は甘えないように考えてみれば良いのにと思う。その怒りをぶつけている相手はあなたにとって間違いなく、とても大切な人ですよ。

先生に責任取れる?と聞いちゃう子がいるそうです。先生が責任取れるように行動されることで自分がどうなるかの想像も覚悟も無いだろうに。他人にそこまで甘えてはいけない。その発言が甘えと思えないのなら、その言葉はまずせめてご両親に言いなさい。それとあと、この子らの言葉は、先生に向けた言葉ではない。みんなで受け止めないと。

→ 甘えてはいけない、のか / Don’t Rely…?

使わせない方針よりも、僕は断然、使わない方針が良いと思っている。抑制と成長はぶつかりやすい。律することをして進んでいきたい。それがないと、また困ることがあると思います。

→ 律す / Governing Myself

朝鮮人参は収穫まで7年かかり、その後、同じ畑では7年とか15年とか50年とか色々な話がありますが、まあ長期間作ることができないそうです。これは、人参の生長する安定した7年間のうちに、呼ばれた何かとか変化した何か(微生物とか湿気とか)が土地に影響をしているのでしょうね。同じようなことで、完全な想像かつ唐突ですが、花粉症は桜が影響しているような気がしています。ポジティブに捉えられている、ここ50年とか100年で異様に増えた身の回りのもの、というものとして目についたのです。桜のコントラストはなかなか無く、綺麗なものだと思っていましたが、ちょっと派手過ぎるとも。年齢のせいなのかな。笑

ここのところのインターネットの活躍がすごいなと思う。それにつられてゴシップ誌の信頼度もいつのまにか高まっている。全国区の新聞などと比べると、圧力を受けながらも自由に発言しているのがうりだ。でも、印刷されれば数字が正しくなるわけじゃない。ゴシップ誌って何だろうか。自由な発言は本当のこともたくさんある。色んな人もいる。でも、多くの記者は自分の生活のために書いている。中には、良い思いをしたことが忘れられない人もいたりしそう。そこらへんを思い返してみれば、その発言が率直ではあるが足りなかったりすることも想像ができる。この、何が本当かがとてもわかりにくい状況にあって、自分の意見に近い情報をまとめてくれる相手の発見はとても嬉しい。僕は相変わらず鵜呑みにはできないでいる。僕の意見が間違っていることを想定しているせいもあるけど、言葉の使い方は、信頼感をとても左右する要素の一つ。インターネットも同じだけど、個人がやってる方がまだ信頼できることが多い気がする。

不平等や不公平さを生む理不尽さを無くすためには、理不尽でないための理由が必要で、それを見出せるようになるため、人生のケースというかパターンを絞ってきたのかな。

1・2Fにコンクリートの柱がいくつも立っているような建物。

全国に全種類が行き渡らない物っていうのを考えてみれる気がした。岡山県はトースターがなくて、広島県はスリッパがないの。そういう感じ。あったら少し良いなっていうものに対して、無い状態を受け入れる必要がある気がする。

最後に、途中経過を。具体的な数値をキリキリ気にしているわけじゃない僕ですが、全体感というか傾向的なものを把握したいので、いくつかの数値は追っています。GWあたりから毎日見ていますが、ここでは徐々に上がっています。ここだと、松戸・柏・金町とかは高いまま。あと、これも。測り方の間違いとか、何かしらの偶然の結果であれば良いですが、間違えることが少ないと思う全体感から言えば、やっぱり増えていて、流れてきて溜まっているものがあることと一致はしています。

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