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想像力 / Imagination

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何を見ても電気に見えてきました。

ものすごく怖い原発、止められると本当に良いですよね。無くしちゃえたらもっと良い。新しいエネルギーが原発の代わりになってくれるのも、とても良いと思います。

でも、ふつーーの感覚で考えて、原発の代わりにすっぽりとはまる代替エネルギーが、運良く、素晴らしい閃きから即座に生まれてくると、僕にはあまり思えない。そんなハッピーなことがあったら、それはもう幸運すぎて、なんでしょう、もう良いです。ほんとグッドです。

だからといってなるようにしかならないから何しても無駄だとか、現状のままで問題ないとか、そういう風には全く思わないので、色々考えてつくり出していかなくちゃいけないのですが、それはそれとして、別にやらなくてはいけないことがあります。僕らが今まで、どのぐらい背伸びをしていたかということを見直すこと。これ無しに、電気の作り方だけを考えても、解決する気が全くしません。

この見直し方というのは、こうしていた僕が悪かった、ああしていた僕が悪かったとわかりやすく悪そうなことを思い直すことなんかよりも、もっと身近に潜んでいて、僕らの生活そのものが、電気を作らずにはいられない性質のものという認識を持たなくてはと思っています。

色んな言い方ができそうですが、一つ流れを書いてみると、みんなの暮らしでは毎日必ずお金を使います。それはどんどん物ができては消費されている状態を意味しています(個人が買い物するかどうかだけの問題ではありません)。そして、何かをつくるには電気が必要なのです。だから、電気もどんどんつくってきたわけです。みんなが制限無く自由に生きられるよう、際限なく物を扱えるよう、どんどんつくってきたわけです。

また、原発については、完璧で無いと知ってはいたものの、極端に、必ずいつか壊れるものをつくってやろうなんて思ってた人はいなかったと思います。そんな人たちに向って、責任感無いのか!と怒ってみても駄目で、多くの関係者は、不安を感じながらも何となく大丈夫なんじゃないかと思って、みんなの暮らしの集まりから生まれる需要に答えるという正しさを思い(まあ裏側にはお金のこともあったと思うけど)、責任を全うしただけです。だから、今ここで、みんなの暮らしがこの事態を生んだということから、目を反らしてはいけないんじゃないかと思っています。

わかりやすく目に見える話に限っても、自分の暮らしで考えて、電気がなくて作られている物なんてあるでしょうか。テレビとか、ドライヤーとか、洗濯機とか、いわゆる家電製品は無くても生活できるんじゃないかという思いはあるのかもしれません。でも、それって、本当に目を反らさず具体的に想像できているのでしょうか。

いかにも電気っぽくない木でできた家具でさえ、電動のこぎりを使って作っています。野菜でさえ、電気のある暮らしをしている方々ががんばって作っています。そう考えれば、みんなの暮らしの集まりで、原発ができている。僕はそうとしか思えません。これはもう、個人でも法人でも国でも何でも良いですが、誰かが責任をとって解決できるようなことではないのです。

見える範囲で問題があるだろうと僕が思うのは、自分たちの手で作れないものがあまりにも多すぎるということです。だから色んな物事に対してサポート的な存在がある。その存在へ文句が言えるっていうのはそういうことです。どの程度なのかはわかりませんが、部分的にでもそういう作り方をやめるようなことは考えていかないと、仮にクリーン、かつ大きな事故は起こらないだろうエネルギーができたとしても、いつかまたおかしなことを呼び起こしかねないと思います。大きなエネルギーというのは、そもそも大きいものなのですから、作用反作用という必ず生じるもののことを思えば、大きなマイナスがあるのです。言葉で表現するなら、ものすごく強く大きなエネルギーで豊かな暮らしをするよりも、ちょっと少ないけどものすごく柔らかいエネルギーで豊かな暮らしをする方が、僕は良いと思っています。この表現から言えば、今ままでは、大きければ大きいほど良いという暮らしと言えるんじゃないかと思います。そこを見直せたら良いのにと思うばかりですが・・・。

 

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