海のちかく / Near the Sea

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津波の高さの限度があるのかどうかわかりませんが、堤防を30mにしてみても越えてくるんでしょう。30mの堤防ともなると高さがある分、幅が増え、さらにそれを耐震にするとなると、どんな大きさだろうと思いました。それでもまだ、そうある想定ではないですが、25mの津波がきて、地盤が5m落ちれば合計で30m。まあ、地盤が落ちる事は埋め立て地なら、より十分あり得る話な気がします。

今回の大津波を踏まえ、大きな堤防と、消波のためにテトラポッドを置きまくるというような方向にいくのかもしれませんが、完全に津波を抑えようと思うより、津波はある程度流れてくるとしても、そこの人たちが避難できるとか線が切れないというようなことを考えた方が良いと思いました。

そこで、電柱が少し大きくなるというのはどうかと思いました。最近は地下に埋まっちゃう事が多い電柱。これが太くて中に空間が少しあって、倒れなくって水が入ってこなければ良いんじゃないかという話です。電柱全部がそうじゃなくても良いんです。海際5km範囲ぐらいに150m間隔ぐらいでつくれれば良いんじゃないかと。

あと、僕としては、なるべくなら生まれた場所で住める事が良いと思っているのですが、それだけにこだわりすぎるのも難しい局面を迎えるのかもしれないと思いました。お金が原因で、そこで暮らせなくなる可能性が出てくるっていうことがあり得る、と思ったのです。お金ってすごいわ、と思いました。まあ、背伸びしてるかどうかが大きく絡むんですが。

これ、今回のケースで言えば、誰かのためにリスクを背負って電気をつくることをはじめ、それが駄目になると経済的に立ち行かなくなってしまう、ことがあるということです。誰かの役に立ってる!という手応えは人生にとってとても大切だと思うのだけど、短い時間でできたものは瞬時に無くなることがある。それを思ってがんばるしかないですよね。

 

また、消波や風車は、動物たちに及ぼす影響もあるということで、難しいものだなと思いました。これは少し例え方を変えると、住宅地が欲しいから池を埋め森を削るのと同じようなことです。空や水は何となく目に見えにくいので、意外と抵抗が無いというのも危ないことですよね。都度調べて、住むのに適した場所を限定するような発想は、アリなのかな・・・。

ちなみに、大きな水の通り道をつくるために、大きく斜めに整地して、避難地区を設けるっていうのは割と良いかもとも思いました。

 

「原発がどんなものか知ってほしい」のこと

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こういう記事の作り方はあまり好きではないのですが、全肯定をしているので、さすがにアレだなと思って、補足の記事を書きます。

この前書いた記事の中で紹介しました「原発がどんなものか知ってほしい」の反論の記事を見かけたため、少し読みました。

あの文章は平井さんの純粋な文章ではなく素人の寄せ集め文で、情報のほとんどがでたらめだという切り口から、色んな指摘をしています。すごく長いので、すぐに全部は読めないのですが、気になる所を少し読んでみたところ、主張はわからなくもないけど、まあどっちもどっち的な感じかな、と思いました。僕は、現実にそれっぽい問題が発生しているのを僕的に捉えようとしているだけで、そもそも数値がどのぐらいで安全かどうかとか、仕組みがしっかりしてて安全かどうかとか、そういうことをそんなに気にしているわけじゃないので、僕の意志は変わりません。

いくつかの事態や事故をみれば、どっちがどうかというか、安全であるなんて無理っていう気がします。廃炉後10年程度経過して期限間近に解体を3年延期した東海原発、2009年に廃炉予定を取りやめて運転続行の敦賀1号機、高速増殖炉もんじゅの取れない直せない問題、遠距離から海水を掛けざるを得なかったことを含めた今回の福島原発。こういうのを並べると後出しじゃんけんみたいで申し訳ないのですが、まあ反論の方が説得力は薄く感じます。(これは完全に個人的なアレですが、論調も何となく・・・)

あと、反論の中で「『放射能でロボットが狂う』なんて言うはず無い」って書いてあるのですが、表現は違うにしても、実用的なロボットは何となく難しい気がします。金属とか潤滑油とかが放射線で変わっちゃうなら、歯車動かすのもしんどそう。で、もし変わらない金属やセラミックスを使ってロボットをつくりきれたり、金属が変わらない工夫ができるなら、それをそのまま使えば、ロボットじゃなくて人が安全に入れそうな気がします。アメリカの人とか80kmも離れないで良さそうだし。

あと反論とはあんまり関係ないですが、もう一つ先週みてた映像。編集してあるので大げさだったり、上手い事やってたりするかもなんですが、そう遠く無いことが現実にある気がします。参考までに。

隠された被曝労働〜日本の原発労働者〜 樋口健二

最後に、反論の中で僕が気になって読んだ所を抜粋しておきます。

→抜粋

NIHON COMES RIGHT

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がんばりましょう。

がんばります。

 

あと、一つ言いたい。悪さをせめて、仮に、というか結果的に自殺においやってしまったとしたら、その後で、正義の誰かが代わりをやり、それで丸く収まるのだろうか。僕はそんなの嫌だ。死んじゃえだなんて、やっぱり全く思えない。

友達とやりとりしていたメールを載せます。僕は、みんなでがんばるのがいい。

 

どうがんばっても大切にできなくて、それで辛いこともあると思うけど、生きてるってそんなことの連なりでしょう。それでもやめないでいるのが、ものすごく良いよ。と僕は思うよ。

気持ちはまあわかるんだけど、今はみんな、痛いからって避け過ぎだと思うかな。 痛いからってやめてたって、誰かが代わりにずっと痛いだけだからね。

やれることは山のよう。

でも、やれることはすごく限られてる。

この間を埋めるのは、避けずにやめないっていう気持ちだと思うんだ。

ボランティアもちょっとしたことでしかないかもだけど、すごく大事とも思う。なんだけど、やってる人側の、その場しのぎでしかないのはちょっと違うよねぇ。

本当は、みんな経済的な仕事なんて一斉にやめて、すぐにやれることを、行ってつくって配って励まして泣いて一緒に頑張っていくっていう、すごくシンプルな事をすぐにやるのが一番良いよね。でも、そういう方針を今すぐにたてられるのは、残念なことに国とか政治でしかなくてさ、そういう国ではなくなっていることは、僕らの生活の集まりがそうさせているっていうのも事実だと思う。

とにかく、今はこの緊急事態を脱することをある範囲の中でやるしかないけど、そっからあと、僕らは大きく方向を変えて進んでいきたい。じゃないと、本当に無くなっちゃうなって思ったよ。

だって、経済的に豊かで安全で良いなーって思うところがあれば、個々の思うがままにそっちに行っちゃうんでしょ。

そんなものは国でもなんでもないなって思っちゃう。

人間はそんなもんじゃないだろう。

生きててほしいって思うだろう。

それが国だろうって思うんだ。

国って属してるとか生まれついたとか、そういう理由みたいなものでできてるんじゃなくて、よくはわからないけど、国っていう、そういう形が生まれるっていうのが、人なんじゃないの、と思うのです。

 

とまあ、みんなとは言えない存在があるかもしれない可能性も鑑みつつ。難しいもんだ。

 

電気の負荷

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産業規模が大きいってことは、世の中での動きが多い、つまり色んな負荷が大きいってことだと思うので、その規模を低下させつつ負荷を減らしながら、最小限の機能を持つ代わりの仕組みに変換するようなことが必要になると思っています。負荷と書きましたが、これはそのまま電気と思っても差し支えないと思い、考えました。

まあ、まずは携帯電話でしょう、と思っています。

これはつい先日に思ったことなんですが、友達とご飯を食べながら話の流れの思いつきで、これから電気代が増えるだろうから、その分、携帯電話はやめないとね、と軽く話をしていました。そのときはお財布事情の話だったのですが、少し時間が経って自分で振り返ってみて、これ結構あたってるかもと思いました。

色々端折っていきなり話を進めますが、電話っていう機能というか仕組みを、素の状態から今の状況・技術でつくるとしたら、今ある電話のかたちにはならない気がしました。大きくは、個別にナンバーを振った専用の端末を持つという形。ダイレクトな感じがして一瞬良さそうなんですが、連絡をとるために必要な形では無いと思えます。

例えば、街の色んな所に電話機能を持ったベースを点在させて、僕らは小さな固有の情報を持っただけのチップを持ち歩き、チップを持ってベースに近づくと、連絡が入る時は名前が出て教えてくれるとか、そういう連絡の取り方で成り立つんじゃないかと。

連絡手段としての即時性はありません。でも、即時性を維持するには、ビッシリ巡らせる事、常時発信する事、常時受信する事が必要です。そんなコストはいらないでしょうという考えです。

まあ、無くさなくても良いんです。ヘリコプターみたいな、私有するには高額で、緊急時にきちんと使えるようなものになれば良いと思います。

あと、僕の気持ちを書いてみます。コストとか負荷のこと以前に、携帯電話って使うのも使っているのを見るのも、昔からそんなに好きじゃないんです。いつだか書きましたが、乳母車を押しながら携帯電話を見ている人はどういう気持ちがしているのだろうという話。もちろん気持ちはわかりますし、悪いことではないと思っています。これは、一回性の話の中で一例として取り上げたのですが、携帯電話って、欲求を何となく吸収してくれる道具というか、おもちゃと似てるんだと思っています。おもちゃはとても良いものだけど、何となく正当なものとしてしまったこういうものってたくさんある。テレビとかPCだってそうかもだし。こういう発散は、悪く無いけど良くも無いと思え、今何か削るならこういうことだろうなという感じです。

あと、電気の作り方の話の前に、使い方の話を書いているのは、日本は世界の内にある、ということからきています。どんなに辛いときであっても、叶わない事はあって、でもそれで終わりかというとそういうもんじゃないです。じわじわ進まないと、国は越えないと思うし、僕たちにとって良く無い。一気にいくのなら、国丸ごとで、グリーンピースに合流するとかでしょうか。そういうんじゃないなと思います。

最後に、電気の話だと原発のことがやっぱり気になります。良いか悪いか効率的かどうか意味あるかどうか、で評価することはできます。やっぱりあなたが悪かったとか、ほらこっちの方が効果あるじゃんとか。でも、原発の話は、前段の世界の話もありますがさらにその前に、今のものをどうするかをさきに考えないとと思っています。代替エネルギーとか、電気無くてどうやって暮らせば良いのかとか、そういうことより、今、たくさんある放射能を持つ物体をどうするのか、を考えて決めないと。これが一番大変なことで、みんながやりたく無い事でしょう。でもこれが、今までに時間をかけてみんなでつくってしまったものです。今より先の人には直接は関係ない。後回しにしてると、決められないような気もするし。ただ、これは極端に難しいことだとも思っています。こんなこと、どうやって決めたらいいんでしょうね。

中日新聞(2011年3月13日付朝刊)

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これは、中日新聞(3月13日付朝刊)のある一面です。

昨晩、友達から電話がありました。その友達はインターネットに詳しく無く、どこかにどうにかして載せたいものがあるという話で、僕に相談をくれました。こんな場所でアレなんですが、協力できたら、と思い、掲載します。

 

友達の言葉。

静岡県で発行している中日新聞(3月13日付朝刊)に、こんな紙面がありました。 この新聞紙1枚が、誰か一人の心にでも希望の火を灯すことができますように。 私からも、ささやかながら、募金と、応援と、祈りを、被災地の皆さんに送ります。

 

気の持ち方を改める 2 / Changing Us

今回の地震、多くの方が犠牲になり、多くの方が未だ避難をされていたり、救助の努力をされていたり、言葉では表せないような状況になってしまっています。亡くなられた方々、関係する方々、本当にお悔やみを申し上げます。そして、常に危険と隣り合わせで活動をされている方々全てに、本当に申し訳なく思います。

この情けなさ、ふがいなさ。僕は、特に公では甘えるべきではない、と思っているのですが、今回は申し訳なく、さらに立場も顧みずも、甘えて書き留めておこうと思います。

 

こういう状況にきて、色々な方の考え方や思いを目にする状況が多くなっていますが、ちょっとよくわからなくなってきました。僕が偏っているのだろうか。

2009年ごろから、僕の中で徐々に明確になりはじめたことなのですが、大きく二つあります。一つは電気のこと。もう一つはお金のこと。どちらについても、ちょっとした記事をまとめたことがありましたが、それを書いたとき、ここまでの確信はありませんでした。

それは、僕らが生きていくのに何を大切にするのか、ということです。

僕たちが死んでしまう確率をとにかく低くしようとすることは、多くの行為・活動の動機や正当性になっていると思います。でも、まさにその下に、自分ではない少数の誰かが死に向っている状況を良しとするのは、やっぱりおかしいですよ。

こういう考え方は、原発に不安を抱いていたり、ドイツやなんかで原発を止めたっていうニュースを聞いた今、そう思うと思う方が多いのだと思います。でもね、ただ単に止めるのは簡単なんです、たぶん。それでも止めないのは、まあ当たり前ですが影響を考えているからだと思います。3000万人の不安で止めた電気で、1000人の方が亡くなったり、100万人の方が困ったりするのであれば、止めないでしょう。

話の方向的に、僕がまるで社会とか経済を心配して、止めちゃ駄目みたいな発言をしているのかなと思われているかもしれませんが、大丈夫です。そんなことは全く考えていません。お金は大事です。でも、それは真ん中ではない。

今まで踏み込めなかった、電気をつくるのをやめること。これは、今までの無理がたたっていることも鑑みているような気がします。電気を作るのをやめて安心というものでは無いようですよ。僕は平井憲夫さんの「原発がどんなものか知ってほしい」をきっちり読んだだけで、専門的に詳しくはわかりませんが、僕の今までの放射能の知識の範囲(すごく狭いと思いますが)と、合致する点が多く、信頼に足る情報だと思っています。この筆者の方は、随分前に亡くなられていますが、読まれた事の無い方は読んでみると良いと思います。

このページの中でフォーカスされるのは今すぐ(その当時)の直接的なことが大部分だと思います。健康の事も差別の事も、とても憂うべき問題です。でも、専門性なんかとは何の関係もない、将来の事こそがとても大切だと思っています。

僕たちの直接の事からはなれ、五十年・百年・二百年と経ったとき。仮にこの電気の仕組みが止まっていても、もう電気を生んでいたことすら覚えられていないかもしれないような、単に危ない放射能エリア(今でいうところとの原子力発電所です)を、そのとき誰かが、まだあと何年も見張らなければならない。こんな事態になる可能性があるのです。誰にも何ももたらさないのに、ですよ。

こんな事態が来るかもしれない未来を、緊急だから危ないから今すぐ選べだなんて、絶対におかしいですよ。

今は緊急で後で何でもするから。科学が進めば、技術が進めば、解決されて安全になるかもしれないから。そう思う方もいるかもしれません。でも、すでに順番が逆になっているのです。逆になったうえでの、この考えは僕はおかしいと思うのです。これはお金のことも同じなんですが、予定予想をもとにした先送りでしかない。そんな気持ちで、原発を止めて心を入れ替えていつか技術が進んでたぶん生活が豊か、だなんて、あほかと思います。

もう既にあるものや使ってきたもの、やってきたことは無かった事にはできませんし、したくありませんから、危ないし何ももたらさない、そんなものを抱えていても、これからも日本をやっていくっていう気の持ち方が、僕はとても大切だと思うのです。この気の持ち方に、意味なんてありません。意味なんかないまんま、僕はこれを信じます。僕は日本人ですよ。当たり前です。血のつながりが変わらないことと同じです。

そして、このぐらい信じきるような決めごとを、僕らはもう一つぐらいは決めなくてはいけない気がしています。この覚悟の想像は、2009年に思った「戦争をするときの覚悟」からはじまっています。体験の無い僕の想像ではありますが、戦時中に思うそういうような覚悟を、即時的な命の危険がない今の状態ですることぐらい、なんてことないんです。僕が思いつく程度のことなので、これが絶対に良いやり方かわかりませんが、兵役みたいなもので、管理役をとにかく全員で持ち回るような感じが良いんじゃないかと思います。県とか地方とか、関係なくです。

このやり方をベースに、もう一つ突っ込んでみると、兵役と聞いて自由は無いのか、と思う方もいるかもしれません。そう、あなたの思うそんな自由はありません。それが不自由だと思うなら、原発を止めたいと思わない方が良い。そういう話を書いているつもりです。

ちょっと鼻息荒い感じで書きました。すみません。

僕として、直接何かに働きかけたい思いはとても強いのだけど、事が大きすぎて望めないとも、そういう立場にいられていないとも思え、無力感が大きいです。

そんな僕が決心できる事は、周囲に何となく漂っている日本を脱出しようみたいな空気を感じながらも、止まったままの電気を生まない危ない原子力発電所っていうのが、いくつもある日本になってしまっても、僕は日本を離れないっていうことを決めました。もとより、日本が拠点でなければ僕ではなくなってしまうような気持ちも大きいのですが。

重大な問題に対して、よくあるような、伝言ゲームみたいな安易な行動はもう無しにしたい。そういう行動って、つまるところ気の持ち方なのだと思うのです。いやいや、プライベートな時間は大切だよ。そう。それがプライベートでない気の持ち方で、重大な事に望んではいけないのだと思うのです。そんなこと意識すらしない、そういう自然さが必要なのです。

僕は一生涯、大切なことを大切にしたい。でも、僕の社会的立場はそれを許しません。このサイトだって、電気でできています。こうして書いた以上、無くして良いのか躊躇ったり、無くしたい気持ちで一杯だったりしますが、小さな僕に限られた、どこかに投げかけられる場所は今のところここにしかありません。この現状を何としても乗越え、僕は僕が大切にしたいことを大切にします。

誰も見ていないかもしれませんし、見たとしても限られた人だけだと思いますが、何かを思うきっかけになればと思います。

 

電気の話が多くなりすぎましたが、もう一度地震のことを交えてお金のことを少し。

本当に辛いのは、何もかもが無くなった地域の人たち、危険と隣り合わせの人たち、避難や物資支援が必要なぐらいの地域の人たちです。

今のところ、東京にいる僕らは、食べる物はあるし、水もある。雨風だってしのげる。とはいえ、日本の東の方は被災地だ、と思った方が良い気がしています。県や地域で区切って、僕は東京だからなんて安心している場合じゃないです。援助に向うのは難しいし邪魔だろうけど、追い詰まっていない地域の僕らが、少し追い詰まるぐらいの判断はあっても良いと思うのです。日本だけの問題を超えてるような大きな問題だし、政府の判断を待つしかないのだけど、大切なものが何なのかと、少しでも思う人がいるのなら、そういう判断をとってもらいたいと思います。

そして、お金のこと。今、局所的に大きなお金が必要な状況だと思います。でも、ただ集めよう!集まったー!だけじゃやっぱり駄目だと思います。大きな動きをしている募金というのは、税金の優先的な使い道でしかないんじゃないかと思っています(詳しい方、違っていたらごめんなさい)。優先的に使うことは、この一大事においてはとても有効だと思います。でも、現実の先送りでしかないお金の、さらに先送りでしかないのだとも思います。先送りは価値ではない。このスパイラルをいつかどうにか脱したい。そんな違和感からはじめて、先送りの無い大切なものを見つけられたらと考えています。今すぐで言えば、先送りじゃないことを見つける必死さがここから先、とても必要なのだと思います。

音を削ぐ

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波の分解や、