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違い / The Difference

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差があること、違うこと。

このときから考えはじめて以来、途中ながらも考えてきたことをまとめてみる。

違うことの表れとして、貧困や差別は多くの人にとても意識されている。僕も生活をする中で、そういう違いを感じることはある。ただ、平均を目指してきた日本であるとしても、同じ生活水準を生きているとしても、僕は貧困や差別以上に、信じていることの違いの方をより感じている。「人と人は違うのだ。」読む人によってこの一文を読んだときの意識の仕方が違うように、同じだということの方が難しい。

僕は、その違うことを尊重するのが良いと思っている。お金を信じるのか、家族を信じるのか、自分を信じるのか、科学を信じるのか、山を信じるのか、像を信じるのか、神を信じるのか。そこが違えば、日本の社会が目指してきた平均値の上下というか多寡というか違いなんて、どうでも良いことだと思う。

でも、平均を目指した社会だからなのか、他人が信じる事は自分のものとは違うかもしれないと全く考えない人もいる。それは社会を信じているということなのかもしれないが、実は数を信じているだけなのかもしれないと思ってしまった。彼らはそれが示す上下を気にして、なんだか、ある後ろめたさみたいなことを感じていると、さらに言えば、自分で自分が信じていることを忘れようとしている、と感じる事もある。

 

少し話がそれはじめているので、話を戻して進める。違いについて。

例えば、日本のコンビニが1店舗、ある瞬間にまるごと、南アフリカの貧しい村に移動するとする。維持・継続はもちろんできないが、助かったと思う人は確実にいる。でも、そのせいでおかしなことがおこったりもする。不平不満とか、怠惰とか、アダムとイヴじゃないけど、知ってしまうとそれを求めるというか。

その体験がもし文化をつくっていくような刺激になるのなら、良いことなのだろうと若干は思える(そもそもあまり好きじゃないけど)のだけど、何となく、作為的なそういう行為は、到底文化などつくれないと思えてしまう。飛躍の方向も度合いも不自然な感じがする。こういう影響を考えるなら、そこに骨を埋めるぐらいの心持ちや愛着が無いとやれないんだろう、自分にとって違和感の無い場所じゃないとやれないんだろう。そして、狙ってそういうことを行うのは非常に難しい。

この難しさはどこから来ているのか。信じていることが違う、ということなんじゃないかと思った。つまり、アフリカでの生活を見た日本の人が、改善すべきと思うことというのは、あることを信じた結果それが正しいと思った日本の人の観点であり、アフリカの人の信じていることから始まっているはずの行為を、その信じていること抜きに、非合理的だ非効率的だ非科学的だと、信じられていることが何なのか、を信じてみることが大きく欠けたまま評価されていることが多いような気がする。

というように書くと、僕が科学は全く駄目だと言っているようだが、そういうわけではない。僕も十分に科学を信じている。誰が作ったのかもわからない食べ物を、何の警戒も無く食べるのだ。エレベーターにだって、電車にだって乗れる。携帯電話を見ながら道路も歩ける。

ただ、自分が接する、自分が信じることを無意識に信じてしまっていては、他国が独自に信じていることがあるだなんて考え方はできにくくなってしまう。これが、前段の難しさを隠してしまう。難しさが隠れてしまうから、アフリカの人に、これが正しいと主張できてしまうのだ。

ここまでくると何となく連想できると思うけど、この話は国の差だけのことではない。僕とあなたが信じていることが違うというのは、このぐらいの影響力があり、難しさを含んでいる。難しいけれど、仮に、この違うということを頂点においてみれば、差別というのはまっとうなことかもしれない。でも、これを頂点に掲げても駄目な気がする。掲げるようなものはもう機能しない。機能しないというか、機能するための無理は日本ではしばらくはできないんだろうし、やらない方が良いと思った。

 

もう一つ例えてみる。

ある男性が言う。

「私はこの村で魚をとってくらすほか無いのだ。」

こう話しているのを聞いて、差別に似たような感覚を抱いてしまうのは、少しおかしいのだろう。今は、こんなに楽な仕事があるし、あなたの年齢ならこのぐらいの年収が得られるはずだ、というようにその人を評価をするようなことではない。彼が、魚をとってくらすほか無い、ときちんと信じている限り、それはそうなのだ。

この違いというものが、自然に受け止められないと、いつまでもどこにもいけないと思った。それは、富や地位があってもなくても、生きている事に対する実感を感じられていないと言えるかもしれない。

この生きている実感というものは、すごく儚くて、なんかずっと持てているような顔をして、さらーっといなくなってしまう。だから、ずっと思っていないと、すぐよくわからなくなってしまうことに思える。

違うということは、とても難しい。でも、それが面白いとも思う。

 

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