発狂にまつわる
男性には男性の
女性には女性の
バランスのとり方があることについて。
発狂のきっかけと、その結果
男性には男性の
女性には女性の
バランスのとり方があることについて。
発狂のきっかけと、その結果
近頃、色んなワークショップがありますが、今年行った二つのワークショップで、小さなお皿と、小さな箒をつくりました。
お皿は、カモシカで行われた、木工作家・渡邊浩幸さんによる、カモシカ工作部でつくりました。
カモシカ工作部では昨年、木のスプーンをつくりましたが、今年は違うものに、ということでお皿にチャレンジ。とても楽しかったです。僕のお皿のテーマは山です。お皿の側面に山の稜線を、また物が乗るところに山が連なってできるうねりを感じられるように彫りました。
昨年同様、渡邊さんの丁寧な教え方で、こんな僕でも何か良い感じかもーって思える物が作れて満足です。また参加したいな。あと、自分でも作ってみたいなーと思います。
んで、もう一つの箒の方は、酢飯屋で行われた、箒の市民蔵常右衛門 吉田慎司さんによる、卓上用のほうきのワークショップでつくりました。
多くの工程は吉田さんにやって頂いたのですが、ヒモの色を決めたり、柄の部分の編み込みをつくったりと、これまたとても楽しかったです。編物が好きで昔よく作ってた時期があったんですが、やっぱり僕は編むことが好きなんです。竹細工とかやりたい。
箒というのは払うものなので、魔除けのようなものとして扱われてきたという話など、色々面白いお話も聞かせてもらいました。常右衛門のWEBサイトにも色々書いてあります。
今年の後半にもまた何かあったら参加してみようと思います。
水のようなもので、
コップのようなものを満たす
ような考え方はやめよう。
これは、具体的ではありますが、一つの例えのようなお話です。
白さを目指す気持ち、というものについて考えていました。今まで受け継がれてきたその気持ちは、生活の色んなところにちゃんとあって、しかも僕たちみんなのそれぞれが大切にしている価値観の底にも、きちんと残っています。
なぜ目指すのか、は、また考えるとして、白を求める気持ちというものが芯にあるのに、アレコレしているうちに色んなものがくっついていてきて、いつからか大切にしていた芯を大切にできなくなってしまっているような状況もたくさんあるように思います。こういう状況になってしまっていることに気付くこと、なってしまった後どうすることができるのだろうかと考えること。こういうことはとても大切なんだろうなと思います。
と、このまま面倒な複雑な話にいかずとも、シンプルなことが一つあります。忘れてはいけないことは、例えになってしまいますが、おまんじゅうを白くつくることの難しさと、それをお供えしたいと思う気持ちなのだと思います。それがあれば、これからも変わらず白を求めても、決して悪いことにはならないと思いました。
この白に対して求める気持ちについてアレコレ考えていると、根本は宗教にあるようにも思えたのですが、そうではないのだと思います。倫理というと難しいですが、それに近いようなものじゃないかと思っています。ミラン・クンデラの本に出てくる「神を信心していなくても、ある侮辱的な思考が神に対する冒涜だと思える」ことに似たようなものなんじゃないかと思いました。(この話はそんな気がするという程度で、もうちょっとこのまま考えようと思います)
そして、この気持ちの根本は、命の安定を目指してきたこれまでのこと全部、そういうことと何かしらの相関関係を持っているような気がしています。なぜ目指すのでしょうね。人によって、地方によって、国によって、多少の差はあれど。不思議なことです。
あと、惑わされるのは、今の世界には単に色が白いだけのものが圧倒的に増えたこと。色については技術的にそれが容易になっているんですが、難しいことを乗越えて得る白という感じ必要なんでしょうし、そもそも数値が表す「白」という色だけのことではないように思います。今で言うと、白は何もしていない状態を指すことも多いですが、そういうのも、色んなものがくっついた結果なんですよね。そこに惑わされず、色の問題やシンプルかどうか、ということではなく、白を目指したいなと思いました。