福箱の展覧会、の中身

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先日お伝えした福箱の展覧会で、僕が出展した箱とその中身。自分で描いておいて言うのもアレですが、何やら、所有したい気持ちが出てくる、不思議な感じでした。所有欲ってのも面白いものですね。ちなみに、木は菩提樹(らしい)です。

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友達が欲しいと言ってくれたので、もう一つ描いていますが、なかなか進まない。

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人 紙 森 山

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少し前からFSC(Forest Stewardship Council)森林認証紙を仕事で使おうかなと考えはじめていたところ、タイミング良くFSCフォーラム2010というものがあり、話を聴きに行ってきました。話題としては紙に限らず、建築や家具に使うような木材も多く扱われていて(椎茸の原木なんてのもありました)、色々な業界の、大きなことをやっている方たちのお話で、ためになるお話も多かったように思います。

FSCを簡単に説明すると、どこで育ち伐採された木を材料につくられた物かを明らかにできるような仕組みで、その過程を明確にするため、木の育て方や山の管理の仕方から審査をして、例えばこの山で伐採された木材でつくられたものならFSCマークを付けても良いですよ、ということを認証するような制度です。つまり、FSCマークがついた物は、山をきちんと管理する人が作ったものだから、その人たちが続けてがんばれば、自然はちゃんと維持されるはずである、という感じでしょうかね。

今回のフォーラムを聴かせて頂いて、FSCがリサイクルマークと同じような、とりあえず付けておけば良いという程度のものとして広がると良くないだろうなーと思いました。リサイクルマーク自体を否定するような気持ちは無いのですが、存在が軽くなればなるほど、偽証偽装などの問題が出てくる可能性は高くなるはずです。

現状でどんな実態なのか詳しくはわかっていませんが、FSCというものがあることで、世の中がどう変わるのかをきちんと意識した上で皆が接していけるなら、良い形に向かっていくような気がします。その過程できっと、世間にもちゃんと受け入れられるようになるんじゃないですかね。

ちなみに僕の今のところの捉え方は、FSCが森や山との付き合い方について考え続けるための機関になると良いと思っています。利用者、というか世間が支持することにより生まれるFSCに絡む事業者の売り上げの一部を使い、森や山との付き合い方を考える原動力となったり、実際に動く仕組みになったりするような変化が起こる、そういう機関というか仕組みがFSCだというような捉え方ができると良いということです。

また、現時点でFSCを踏まえた具体的な動きとしては、紙の使い方よりも、紙のつくり方に注目していければ良いのではと思いました。今の紙は最終的な役割を果たすときまでに移動を繰り返していて、もしその移動を最小限に抑えられるような紙のつくり方ができれば、使用しているエネルギーは今よりもかなり減らすことができると思います。

簡単なところでは、使い方によって、つくり方を変えるようなことはできるんじゃないかと思いました。学習用・家庭用の紙に、製品用・広告用の紙のシビアさは必要ないでしょうから。むしろ、手元にあるものは味がある方が良いとも思えます。成長の過程で育まれる、馴染みのある紙に対する思い入れは、人生の色んな転機において、良い気持ちを生むかもしれない。違う土地で暮らすとき、ああ、僕はあの紙が好きなんだなと思うかもしれない。そういうものが、森や山との付き合い方を考える過程で生まれるなら、そんなに素晴らしいことは無いだろうと思います。

そして、こういう捉え方や想像は僕がそう思うというだけで、人によって違って良いのだと思います。違った捉え方でも、きちんと考えて支持をして、それがフィードバックされて、全体がある方向に向かうことが大切なんじゃないかと思いました。

FSCのウェブサイト

ちなみに、MFCというものもありました。魚の形のロゴだったので、Marineなんでしょうね。魚の認証は難しそうだけど・・・。

で、調べたところ、やっぱり魚でした。MFCのウェブサイト。イクラが具合悪そう・・・苦笑

安心 不安

交通は安心により成り立ち

医療は不安により成り立っている

差があること、違うこと

危ないことかもしれないが、

今一度、考えたい。

差があること、違うこと。

貧困。差別。

表現の生まれ

食べなければ死んでしまうところから道具が生まれ、

伝えなければ、残さなければ死んでしまうところから

表現が生まれた。     んじゃないか?

古い言葉

ちょっと古い言葉が読めないことについて。

何があっても、なくても。

いわゆる、新しいことにだけ気をつかってもだめ。

何があっても、なくても

変化なのだ。