一回性 / The Only Once
僕らの時間の使い方は、ここ数十年で大きく変わったように思います。
都合の良いタイミングで望むことができること。
これは、従来1アクションでやならければならなかったことを、中断・再開ができるように細かく分け、可能であれば巻き戻すこともできるようなものを目指してきた結果、こういうものを良しとする社会があるのだと感じます。
基本的には悪いことではないのですが、例えば、植物の生長や動物の成長のような速度で行われる行為は、安定しているが不可逆で、一方、人の生活の中ではそういう速度を用いないで、擬似的に可逆な状態を作っている現状があると思いました。
この話、冷静に言ってしまえば、一回性の貴重さを思い、逃したくない、失敗したくない気持ちになってしまったがために、はじめから一回性を失うことに繋がってしまっているように思います。文化だって思想だって常識だって、今でも間違いなく不可逆に動いているのです。
僕が感じるに、ですが、この、欲してきた一回性は珍しさのことで、失ってしまっている一回性とは全くの別物だと思えます。その失ってしまった一回性は、自由とか思いとかなんじゃないかと思いました。可逆を意識するよりも、不可逆を許容する方が自然なことだと思いました。
この話を少し膨らませると、子と一緒にいる親が携帯電話を使って、誰か、もしくは何かと繋がっているとき、どういう気持ちなのだろうということを考えるきっかけになり得ます。色々と大変なこともあるので、その気持ちも何となくは理解できるのですが、こういった少しおかしい風景が、身の回りに多くあるような気がしました。
I had not translated it yet…………
