正義とか矛盾とか / Justice, Absurdity...
随分前から、正義というのは随分と範囲が狭いなぁと思っていました。
正義の反対は悪。悪はちょこっと良いことをしてもやっぱり悪だと言われますよね。でも、正義は少しでも悪いことをした瞬間に正義ではなくなります。正義と悪、反対の意味として捉えるには、ちょっと性質が違いすぎると思いました。
でも、善悪というぐらい、正義(善)と悪は昔から対照的に使われています。ということは、正義の反対が悪かどうかということを疑う前に、悪の反対としての正義の捉え方が違うのかもしれないと思いました。
つまり、これこれが正義であるというのは、何かの理由にはならない可能性があるということです。この実感は、僕たちの中に間違いなくあるように思います。が、逆にそれに従えず、その正義の理由付けに従っている現状もあります。
これは、正しいと誤りの間にも言えそうですね。正しいからというのは、正義と同様に理由にはならないのかもしれません。
では、正義とか正しいというものは、どういうことを言うんでしょうね。多くの人が良いと思うことかな。なんか違う気がする。あと、理由としては何がふさわしいんでしょうか。
わからないことは少し置いておいて、矛盾という言葉について考えます。矛盾って、これとあれが合致しないという状態を言うのですが、その話は矛盾しているという感覚は、ずれてしまった正しさを軸にした時、それは誤っているから正しくないじゃないかという感覚に因っているような気がしました。それって、前述の話を踏まえたとき、絶対的なものではなくなります。
そして、矛盾という言葉も昔からあります。つまりは、僕たちが捉えている意味が違っているんじゃないかと思いました。本当の矛盾って何だったんでしょうか。
最強の矛と無敵の盾。貫けない訳にはいきませんし、壊れる訳にもいきません。この話はこんな風に語られることが多いし、僕らの頭の中でもこの状況は想像できます。でも、ちょっと現実的に想像すると、矛と盾がぶつかったとき、何も結果がないわけがないですよね。貫けなくとも、壊れなくとも、現実的な可能性としては、どちらかが少しは傷つく、もしくはどちらとも全く傷つかないことが考えられます。で、これをもっと厳密に想像すると、水が石に穴をあけるように、傷がつかないはずがないんです。衝突は、何もないようでいて、きちんと影響があるものです。その影響がどちらに優位に作用するかは、時の運とまでは言いませんが、そのときの状況がそれを決めています。
ここから僕が想像できる、矛盾という言葉は、どちらに転ぶかわからないね、ぐらいの意味に近いと思います。その話、矛盾しているね。つまり、どちらかに可能性があるわけですから、矛盾という言葉で、その正誤を決めることは良くないのかもしれないと思いました。
矛盾しているけど、もしもやってみるのが良いと思うなら、やってみる。これが一番素直だと思います。あとは、矛盾しているからそれは駄目だよという考え方や決断は、やめた方が良いのかもしれません。
何かの時にも書きましたが、良いかどうかを感じることを思い出すことが、僕は第一歩だと思います。良いかどうかというのは、自分のことじゃなくて、自分を含めたその状況が良いかどうかを感じようとすることに近いんでしょうね。ちなみに、こういうことが許されない状況というのは、やっぱり少しおかしいと言えそうですね。
前回の話に引き続き、最近気になる、変わってしまったのかもしれない言葉の話でした。
Sorry. I had not translated it yet… Recently, it is too difficult for me. I would like to able to write the English easily…
