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塩尻市考察 / Thinking About Shiojiri City

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今年の前半、長野県の塩尻市について色々調べていました。一旦、内容をまとめようと思い、記事にします。

塩尻市の人口は7万人ほど。松本市の隣であり、諏訪湖も程近く、ワインの製造が盛んなところです。また、名古屋・新潟・東京の3方向から伸びた鉄道と道路が交わる場所でもあります。(Wikipediaに色々としっかり書いてあります。)


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塩尻駅近辺には、大門商店街という商店街があります。主には、この商店街を中心に、何ができるだろうかを考えていました。

最近はどの地域でも似たような現象が起きていますが、大門商店街も例に漏れず閑散さが目につくような、いわゆるシャッター商店街に近い状態になっています。ただ、朝晩の車通りが比較的多そうなことや、市役所が近いという点においては、本当に寂しくなってしまった場所と比較するとましなのかもしれません。イトーヨーカ堂もあります。(と思ったら、閉店しています。中日新聞:土地建物の購入申し入れ 塩尻店閉店でイトーヨーカ堂:長野(CHUNICHI Web)。その少し前には西友も撤退しています。)

20〜30年ほど前、大門商店街は活気があったそうです。それは、今の商店街の姿とは少し違っていて、区画整理される前のごちゃっとした、賑やかな商店街がそこにありました。塩尻駅の場所も今とは少し違うところにあり、駅の移転から始まり、周辺が整理され今に至っています。

そして来年にはえんぱーくという、図書館機能を備えた市民交流センターが完成します。これを機に、活性化したいとみなさんがんばっています。

色々とやれることというのはあると思うんですが、ここでは僕が感じたこと(具体性はあまり無いです)を書いてみようと思います。

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僕は塩尻のことを調べるにあたって、まず市役所のウェブサイトに載っているような情報を見ました。次に、主に昼の時間を使って、現地を4〜5回歩きまわりました。本当は少し生活してみることができると良かったんですけどね。歩いた後に、今度は歴史のことを少し調べました。その歴史を見ていて、なるほどと思ったことがありました。

江戸時代に整備された中山道という、京都と東京日本橋をつなぐ道が塩尻を通っています(今も道路があります)。この道は、東山道という道が整備されたもののようですが、その往来により、塩尻の周辺は徐々に栄え始めたんじゃないかと思います。中山道に沿って、休みたいという皆の思いが集まって、休憩できるところができ、その場を提供する人が暮らし始め、様々な需要が生まれ栄えて宿場町ができました。

(今も、奈良井宿という場所は観光地的にというか、普通に暮らしている方が結構いるようです。とても良いところでしたよ。鳥居峠も越えましたが、普段、山登りをしないようなコンバースの僕でも、3〜4時間ほどで越えられるので、観光のついでに散策すると良いと思います。ただ熊対策で鈴は付けてました。前に書きましたが、クマではなくカモシカに会いました。僕は会いませんでしたが、やっぱり熊が出没してる(2009.10.17)みたいです。)

現在の塩尻駅は、各宿場町とは少し離れているのですが、3方向からの道がぶつかっている塩尻という場所について思い当たったのは、「この土地は多くの人に歩かれてきた」という実績を持っているんだなということです。そして、今みたいに道路や線路が通る前、そこに住む人たちは、その需要供給の渦がある状況を含めて、多くの人が歩いていくことに慣れていたのだと思います。それが生活の仕方(見知らぬ人と接することとか、自分たちの生活にもたらすものを組み込むこととか)にも影響を与えていたんじゃないかと思いました。

この話、見知らぬ昔の話じゃないと思うんです。今ならまだ、その影響はそこでの生活の中に残っているんじゃないかと思いました。車の社会になったのなんて、ここ数十年の話です。今、僕たちは、車のある社会の前の社会を生きていた、70〜90歳以上(ぐらいじゃないかと)の方々と接することができるわけですから、塩尻の心を感じることができるはずです。

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こういうような話は塩尻に限った話ではないと思います。完全に想像ですが、20〜30年ほど前の活気のあった時代、日本各地でこの「心」は特に感じにくくなってしまったんじゃないかと思いました。その後の今ですから、その古き良き時代を思い出して、それを再現できるようにがんばるのも良いのですが、僕はそれよりも前にあった心から思い出し始める必要があるんじゃないかと感じています。この20〜30年というのは、社会全体が酔っぱらっていたようなもので、完全に良いものだと信じきるには少し無理があるんじゃないでしょうか。これは誰が悪かったとかって他人の話じゃなく、僕らも生きていたこの20〜30年を、個人的なとても小さなことも含めた事実や経験を信じ込むんじゃなく、さらに昔の流れから今に至るまでをきちんと反省(ごめんなさいってことじゃないですよ)する必要があるんだと思います。

逸れ始めたので、塩尻の話に戻りますが、塩尻が発展したそもそもの理由というか、塩尻の個性というものの真ん中には、やはり各地から交わっているということがあるのだと思いました。この場所の特性を切り口に、やれることを考えると良いように思いました。

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いきなりフランスみたいに、ワインの醸造所が試飲を動機に、食事とか宿泊の提供をはじめる、なんてのは難しいかもしれませんが、人を集めるのに、真ん中にあるのは都合が良いことなのですから、小さくても動き始めることが、いつしか流れをつくるんじゃないかと思いました。単純に、仲の良い3人組がいるとして、3人で遊ぶなら、中間地点の家で遊ぶ可能性が大きい訳です。この動機は単純すぎて、話だけ見るとそれだけで??って思ってしまうぐらい中心の動機と思うには弱いことですが、僕は自然なことだと思いますし、自然なことって、特に遠くから見れば弱くみえるんだと思います。

最後に塩尻の町の写真はまとめてここで見れます。平出の泉がすごく綺麗でした。

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I had not translated it yet…

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