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世界の価値 / The Value of The World

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たぶん、お金の話の延長上だと思うのだけど、先々月ぐらいから、ちょっとわからないことがある。僕が大切にしたいこととは違う(これがあっての大切なこととも思うのだが)し、相当に無理矢理な感じで考えているのだけど、僕が生活しているこの世界全ての計測できる価値というものについて、考えていた。発端は、その価値の総計は一定ではなく、膨らむ一方であるはずだと思ったこと。

資源は価値を生むことから、資源自体にも価値がある。資源が変化した後それ自体の価値を減らすこともあるが、違う価値を創出することも、それ自体の価値が転換され増えることもある。ただ形を変えた後の価値の増減は色々なので、仮に、資源の価値と、ある変化があった後の資源の価値とそれが生んだ価値を合わせたものを、同等だとする。

いわゆる資源というと石油とか鉄とかが思い浮かぶが、生命も資源だとする。上述と同様に、生命自体に価値があり、活動により創出される価値もある。

ということは、生命が生まれて死んで生まれるほどに、世界の価値は膨らんでいくと想像ができる。簡単に例えるなら、歴史の教科書に沿って測った価値と、それを半分ちぎって測った価値では前者の方が多いと言える。

では、価値というものが、膨らみ続けるものならば、そこに大切さはあるんだろうかと思った。これは、価値あるはずのものに価値が無いと言いたいわけではなく、価値あるものも大切で、価値が無くても大切で、価値自体に大切さは無いということを思ったのだ。

ここで、はじめの資源についての仮定を変えてみる。「同等だとする。」を同等ではないというか、資源とそれが生み出したものの価値が下がるものと仮定すると、生命の活動による価値の増加を考えると、全体としては、均衡を保つか、減少することになる。

まず、減少するとすると、あったものが無くなることになるわけだけど、そんなことがあり得るのだろうか。僕はやっぱり減ることは無いと思う。そうなると、均衡を保つことになるのだけど、減りも増えもしないものと、生命の活動により増え続けるもので考えると、やはりどんどん増えていくことになる。

ここでさらに、「生命の活動により増え続ける」という仮定を考えてみる。生命の活動により、減るか、減りもしないという変化があるとして、減る場合、活動の価値を上回るマイナスの何かがあることになる。減りもしない場合、活動の価値を帳消しにするマイナスがある。

こうなると、死ぬこととは、生きていた生命の価値がそのままそっくり以上無くなることに繋がりそうだ。普通に考えて、そんな訳は無い。となると、生きながらにして、価値を減少し続けることが思い浮かぶ。

そこから考えると、ある形状になってから時間が経過すると、資源や生命から価値が減るということだろうか?なんか、だんだんと気にするような話題じゃ無い気がしてきた。

そこをもう一歩突っ込んで、生命ではない資源について、資源自体とそれが生み出した価値は、減っているということを認めるとする。それはつまりどういうことか?人間に限らず、生命が資源を使って活動した結果は、価値が減っているということになる。

あとは、生命と生命でない資源のバランスで考えていたが、その両者が均衡がとれるようなものでは無い、つまりどちらかが高価値で、どちらかが低価値なことも想像できる。

ここまでくると、今回は、自分でも本当によくわからないです。でも、気になるのは何でだろうか。うーん・・・意味不明ですよね・・・すいません。

I may not be able to translate it…

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