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情報の壁 / Limits of Information

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僕らが生きている世界には、情報の壁というものがあるなぁと、ここ数年感じています。

これは、簡単に言うと、僕が生きている中で知らないことは山のようにあるという、至極当たり前なことです。つまりは、どんな人でも一生触れることができない情報があるということです。

この壁というのは、完全に人間の能力を超えたもので、抗い難いものです。すごく極端な状況を想像すれば、間違いなくそうなんですが、そこまで極端じゃなくても、例えば、僕の中で最大限な、幸せに生きて死ぬための情報の全てに触れることはできるんじゃないかと思えたりもします。

でも、実際は「これを知っていれば」ということがたくさんある状態で、みんな生きています。だから失敗もするし、成功を喜べるという状態もあるんでしょう。全体としては、「知っていれば」を極力無くそうとしていますが、これはなかなかできることではありませんし、失敗と成功という考え方からすれば、無くなると困るものでもあるかもしれません。

で、この話のまま続けると情報の壁と違う話になってしまうので、話を少し現実的なところに移します。僕が感じている壁というのは、何故生じているのかを考えました。

とても身近に、「なんで、僕はこれを知らなかったのか」とか「なんで、あの人はこれを知らないのか」ということってたくさんありますよね。これについて思ったことがあります。

この壁というのは、結論から言うと、個々人の個性や価値観に因っています。これは、ある意思をもって即時にその壁を克服できないことを意味していて、流れていくしかないような流れがあると思えます。

ここまでは、僕がそう感じたというだけなのですが、今の情報という捉え方は非常にもろいものなんじゃないかと思ったことから、この考えははじまりました。

情報についてまず思ったことは、情報には構造があるという点です。それは、ある事柄について、何から発生して何を示しているか、どういう影響があるかなどを、わかるように成立させるための組み立て方です。この情報の構造という考え方が、怪しいんじゃないかと思いました。

勘以外で、なぜそう思うかというと、構造化すると消去法という考え方ができてしまうからです。消去法というのは僕も良く使っているのだと思うのですが、一歩下がって考えると、消去する時の僕は、違うであろうという気持ちでしか消去ができないのです。欲するものを探すにあたって、その欲するものを知らないのに、これは違うという判断はおかしいんじゃないかと思いました。

漠然と情報と言っているとわかりにくいかもしれないので、Google検索で考えてみてください。検索する時に、ある言葉で探そうとしますよね。そのときに、たくさん言葉が思い浮かぶと思うんですが、思い浮かんだ言葉の中から、必要ないだろうという言葉を消去していると思います。もちろんこの話は普通のことなんですが、知らないのに知っていることになっているのって不思議ですよね。もちろん、この不思議がいわゆる「勘」というようなものとして、状況を好転する(欲しい情報にたどり着く)こともあると思うのですが、本当に欲しい情報に辿り着いたかどうかは定かではありません。ここに、情報の壁ができる要因があると思ったのです。そして、この気持ちを導いているのはその人の個性なのだと思いました。

まあ壁があると駄目なのかというとそうでもないのですが、あれこれ思ううちに、今の情報という考え方は少し怪しいと思えたのです。そして、情報よりも体験の方がより僕らにとって大切なものであるとも思えました。わからないことなんて、山のようにあるのです。それは情報があるだけではどうしようもないことなんじゃないかと思いました。また一方で、情報がもっと良い形に変化することもできるようにも思いました。

I had not translated it yet………

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