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お金 / The Money

お金の価値について考えていました。昔から、その価値が上下を繰り返しながら、今に至ってもほぼ同様な価値を持ち続けるお金というものは、とても不思議なものだなと思ったのがきっかけです。いや、少し落ち着いて考えると、“ほぼ同様”というのはちょっと違っていて、昔よりも今の方が、お金に対してどん欲というか盲目的になっている分、人生の中でお金に重点を置いているように思います。これは一種の慣れのようなものなんじゃないかと思います。もちろん、今も昔も、お金は食べられないし、薬のように体を治せるようなものではないということは、理解できているのですが、今はそれが直結しているようにも思えます。これは、自分にとって信頼の足ると思える人が扱っているお金に対して、自ずから感じる評価を気にしないようにしているからだったり、経験則としてお金に対する気持ち上の負荷をどんどん大きくしてみても(例えば食べ物づくりを止め、お金をつくり出すことに専念することなど)自分の人生は成立可能だった結果なんじゃないかと思いました。

僕もお金のことをそれほど特別なものと考えたことは無かったのですが、価格としての価値というものがこれほどに変化をする、普遍的であるはずのお金というものを考えた時に、何かおかしいよなぁと気にかかるようになりました。

色々と考えてみたのですが、どうもお金というのは、ある文化圏(?)における究極の先送り法じゃないかと思えました。食べ物の物々交換で考えると、交換した時点で食べれば問題ないというか、腐る前に食べる必要があります。でも食べないとすると、腐るまでしか価値が残らない。お金は腐らないので、いつでも何かと交換可能なわけです。

でも、心はお金じゃ買えないんだよとか、本当に困る時には逆にお金があっても役に立たないことだって想像できるわけです。そうこう考えていると、価値を数値で表せることは便利ではあるけど、色んな意味で欠如している部分があるように思えました。その交換はなんのためなのか、交換によって得られた物に対する心持ちとか。

食料を奪い合うような時代においては、他者との間にあるお金の重みはより大きくなる(価値は下がるが)のかもしれませんが、逆に今の時代においては、重みは小さくなっていると思えます。その小さくなってしまった重みに対して、不信感を抱くのは当然です。でも、今のタイミングで、自分の小さな不信感ぐらいでは、信頼している社会に対して思い切れることはほぼ無いでしょうし、経験則を覆すことはできません。難しいもんです。

でも、既に経験として感じているところはあるはずです。湯水のように使ってしまったお金によって生まれてしまった先送りのしわ寄せが、至る所に感じられます。これはたった一個人の先送りであっても、それが直接的に個人に戻ってくるというものである以上に、地域に対して国に対して世界に対して、戻っていっているのだと思います。でも、これも難しいんですよね。必要不必要を誰かが測って決めていくことなんて、できませんもんね。

僕的には、お金の価値じゃなくて、お金の意味が変えられると良いのじゃないかと思っています。お金ができる前、さらに物々交換が行われるよりも以前、もっと言うと言葉すらなかった時代、他人によるある(親切な)行為の代わりに自分ができることをお返しするような関係があったと思うのですが、そのとき、両者で交わされた価値というものが、ほぼ無くなってしまっているやり取りはおかしいと思うのです。

ある一辺倒な価値基準以外に、それとは全く無関係にある価値基準をもち、それらを合わせて交換を行うような仕組みなんかがあると良いのかなぁとか思ったりしました。これも先送り法の一環かなぁ・・・。例えば、お金の現れである資産のようなものが、お金以外の価値軸でも持てたりすると良いのかなとか。でも、これもまた難しい。お金以外の価値軸って、いわゆる差別ってものに繋がりやすそうだし。でもでも、そう思うと、お金による社会性の差というものは差別なんじゃないかとも思えますね。うーん、とても難しい・・・。もう少し考えます。

I had not translated it yet...
 

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