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反対語 AとB / Antonym A and B

明るい、暗い。新しい、古い。ゆるい、きつい。暖かい、寒い。優しい、厳しい。熱い、冷たい。

色んな反対語があります。この反対語という意味の持ち方は、とても危ういんじゃないかと思いました。

明るいから暗いまでに至る間に感じる感覚は、同じ軸に乗ったものじゃないという実感が僕にはあります。それは、照明の明るさを調節して得られるものだけで明るさが決まっている訳ではないということです。想像の中でもう少し突っ込むと、軽いの反対方向にあるのは重いものだけとは限らず、楽しいってことだってあるんじゃないかと思うのです。ただ、反対語はわかりやすい分、浸透していて、それだけを信じていると気がつかないことがたくさんある気がしました。特に、自分が嗜好する方向と反対の言葉に対して拒絶してしまうことが気になります。

この前段で気になっていたのは、アナログとデジタルについて。これに関しては、アナログ志向の人間だからデジタルなことは興味ないしわからないとか、デジタルっ子だからアナログなことは必要ないとか、そういう感覚に対して、気になることがありました。

例えば、デジタルなものの象徴としてパソコンというものがあって、デジタルとアナログの間には壁ができています。でも、デジタルなことというのは、いわゆる“デジタルなもの”にしかないように考えるのは違うと思えました。僕的に簡潔に書くと、僕らが頭の中で、何らかの理由付けをして捉えたものごとの全てはデジタルであり、それ以外の捉えきれないゾーンがアナログなんじゃないかと思うのです。

そのまま話を転がしてみると、人工と自然というものがあって、作られた物は人工的、海や山は自然という割り切りはどうでしょうか。そこの境目はどういうものなのか。

スタイリッシュなものは人工的で嫌いだという出発点から、たまに山へ行き、自然って最高だなぁと思う心は、本当に自然を愛せているのでしょうか。僕は、本当の山での暮らしをしたことがあるわけじゃないので、山が愛せているというのがどういう状態なのかはわかりませんが、少なくとも都市だろうと山だろうと、人工か自然かという理由をもって何かに接さないのはおかしいと思うのです。もっと言うと、人工だって自然だろうと思ったりもします。(さらにもしかすると、今見える自然は人工じゃないかとも・・・)

自然じゃないことが人工だという割り切りを持っていては、人工が自然の一部とは思えないんじゃないかと思うのです。それって、ちょっと危ないというか、人工に対しても自然に対してもキッチュな認識だなと思います。(ちなみに、キッチュが悪いことだとは思わないが、人生の真ん中あたりに関わることをキッチュなものとしてしまうのは良くないと思う)

ちょっと話がややこしくなってきましたが、何事も二極的ではないと思いつつ、反対語を便利な道具のようなものだと思って接していないと、価値観を見失うんじゃないかと思った次第です。特に、反対語による理由付けを自分の感覚だと思うことは、あらぬ方向に進んでいることがあるように思います。

I had not translated it yet...

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