甘えてはいけない、のか / Don't Rely...?

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甘えてはいけない。

本当に?

最近、このことについてずっと考えていました。これの返事が少しでもできるようになると、色んな辛い出来事が回避できそうな気がしました。

誰かに対して、「甘えてはいけないよ」と言いたくなるとき、言葉を止めることがよくある。なんで?と聞かれたときにどう答えて良いかはっきりとはわからない、ということもあるのだけど、それ以上に、「甘えてはいけないと言うこと」に対して、僕が甘えているように思えて言葉が出てこない。ただ、稀にうわっと出るときがある。それは肉親だったり、親友だったり、いわゆる僕が甘えてしまう人たち。それ以外にも、甘えてしまった人もいる。もうこの人とはあわないんじゃないかと思えるような人も、不意に甘えてしまう対象になっているように思う。

昔から、例えば殺人事件なんかの、加害者の気持ちが何となくわかる(あくまで、何となくです。実際はわからん。)ような気がしていた僕は、この感情の起伏(?)みたいなのを考えていて、そういうことなんだと思った。やっぱり、そういう人たちは、何かに甘えている。

で、ここではじめの話に戻すと、僕の考えたように何かに甘えているとしても、甘えてはいけないというものでもない。「どうだっていいんだよ」と言われればそれまで。そんなことを言う人には、やっぱり甘えるなと言いたくなる。ここから先は、ずっと平行線の話が続く想像ができる。

ちなみに、同じようなことで、「裏切られた」と言っている人にも、甘えるなと言いたくなる時がある。例え、どんなバックグラウンドがあろうとも、裏切られることなんて無いと、僕は思う。自分が何かの形で被害を受けたって、その次にどうするかの方が大切だと思うんですよ。って、話が逸れました(苦笑)

今の僕は、自分が生きていることに意味を求めてはいない。いや、自分がじゃない。人が、かな。何で生きてるの?って、生きてるから。生きている自分や他、全ての世界に対して、僕は絶大な興味を抱いている。

そんな僕が大切にしていることの一つは、僕が見たくないものを見ないこと。そのためには、色んなものを投げ打っても、それを回避できるよう努力をする。

「意味が無いと生きていられない」と「甘えてはいけない」は似ているような気がする。とすると、生きていることに意味を求めない僕は、甘えてはいけないと思っていないのか?でも実際は、誰かに対して甘えてはいけないと思うときがある。じゃあ、逆に生きることにはやっぱり意味があるのか?いや、無いと思うんだよなぁ。うーん。これ、難しい。

ちょっと話を変えてみる。

甘えている状態ってどんなだろうと考えてみる。犬がしっぽをふるときに感じる気持ちに似たものが感じられる状況で、その状況に身を任せることが甘えていると言えると思う。本当は特に悪いことではないのだけど、過剰な甘えは本当に良くないと思う。自分にとってもそうだけど、僕は甘える相手に対しての影響が一番気になる。与り知らないものに対して甘えることは、それを与り知っている人の努力なんかは考えない。与り知っていると思っている存在に対しても、例えば自分のこどもに対して甘えることは、人生とはそういうものかもしれないと、こどもに思わせてしまうかもしれない。こういうことをいつも気にして、一切しないことが良いとはもちろん全く思わなし、僕もすると思うが、過剰になると甘えるなと言いたくなる。甘えることは、依存しているとも言える。こどもに対して依存している親はたくさんいると思うし、僕ももしかするとそうなるかもしれないけど、ある線を越えてまで甘えてはいけないなと思えるようにはなりたいかも。

甘えているかどうかの線引きは、倫理観というか個々の価値観にあるんだろう。とすると、やっぱり甘えてはいけないと、他人に言うことは甘えていることなんだろうな。

では、なぜ僕が甘えてはいけないと思ってしまっているんだろうか。過剰に甘えることで、何かをごまかそうとしているのが嫌なのかもしれない。転嫁しているのを感じて、逃げているように思うのかもしれない。そうはいっても、逃げたって良いじゃないか。

あ、逃げ道はいくらでもあるってことかも。もっとやれるじゃんと思うのか。どうやら、そういうことのようです。つまり、僕が甘えるなと言いたくなるとき、もっとやれることがぼんやーりとあるかもと感じているってことのようです。

というわけで、甘えてはいけないってことはないけど、甘える前にやれることをやろうってことみたい。なんだ、シンプルだな。

美容室 SORA / Beauty Salon 'SORA'

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広尾と麻布十番にある、SORAという美容室さんが来年1月、学芸大学に新しい店舗をつくるとのことで、告知用のDM・封筒と新しい名刺をつくらせて頂きました。

テーマは「おもてなし」と「緑」。

このお題から、丁寧なDMってどういうのだろうと考えていました。そこで思いついたのは、折り目で丁寧さを表せるんじゃないかということでした。DMってハガキ1枚にちょっとメモ的なメッセージを書くというやり方もあるのですが、そのやり方だとテーマから外れすぎると感じたので、用意をする側としては少し手間がかかるのですが、薄い紙でできたDMを一枚一枚折って入れることで、丁寧さが表れてくれればと考えました。SORAの方々も、是非やりましょう!と快く受け入れてくださいました。

薄めの和紙にオフセットで印刷したDMは、三つに折って封筒に入れます。折りやすいように、予め折線を入れることもできるのですが、折線も無し(アタリはあります)でつくりました。また、中の文章を読むときに植物がやわらかく視界に入ると良いなと考えて、表に植物を配しました。メッセージカードは市販されている普通のもので、少しくすんだ水色のものを選びました。

封筒は活版印刷で住所とロゴを印刷しました。少し前からお付き合いさせてもらっている、中村活字さんにお願いしました。鷹番という住所の、鷹という文字も、オフセットでは出せないようなくっきりさで、とても良い仕上がりにして頂いています。

名刺については、美容室での美容師さんとお客さんとの距離感を考え、より近い距離で渡せる横向きが良いと思いました。ただ、横向きの名刺でも持つ位置によって自然に距離感を調整できることが大切だなとも思いました。

また、美容室の中での客視点として、いかにも営業という印象が気に障ることがあるというのを感じていた僕は、なるべくナチュラルに人と人が接することができるのが良いと思い、名前と肩書きだけを表面に配した名刺にしようと思ったのです。配する情報が少ないことにより、微々たる話なんですが、より近かったり、程よく遠かったりと、持ち位置も色々な位置で渡したり受け取ることが可能になります。初対面の人と接するにあたって、相手との距離感を決めるのに、余計なストレスが無いことを一番大切にしてデザインしました。


この名刺も活版印刷で、中村活字さんに印刷していただきました。15名分もの名刺だったこともあり、とても気を遣って頂き、色々と苦労をして頂きました。中村さん、ありがとうございます!こんなにたくさんの方の名刺をつくらせて頂いたのは、僕としては初めてだったので、依頼をお受けできてとても嬉しく思います。納品までがんばります!


(検品の様子)

あと上のもの以外にもう一つ、お客さんに渡すリーフレットをつくっているので、またそのうちお披露目したいと思います。

北原さん、中村さん、桃子さん、松本さん。ありがとうございました!引き続きよろしくお願いします。

CET 08

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CETが今年も不意にはじまるようです。

CET08 (Central East Tokyo 2008)

僕のいる柳橋日和は、今年もオープンオフィスを行います。
12/8の18:00〜22:00です。
食べるものとか、飲むものとか、程よく置いてあるはずです。たぶん。
お時間ある方は遊びにきてください。
パンフレットには「差し入れ歓迎」と書いてありました。
何するっていうアレでも無いのですが、お話でもできればと思います。

あと、CETで気になるイベントをいくつか。

港千尋さんと永原康史さんの展示「宇宙インタラクションへの誘い」。
トークは、永原さんが12/7 19:00〜「アルゴリズムとデザイン」、港さんが12/13 19:00〜「世紀と一日:時間の変換とデザイン」です。
場所は大原第五ビルであるみたいです。

新野圭次郎さんの展示(変更がありました。)。
姉川たくさんの展示「ボくねけだせれたよ」。
この二つは豊島ビル3・4Fであるみたいです。

他にもたくさんの方が色々やってるみたいなので、お時間のある方は楽しんでみてください。