耳を知る

音楽は、声を聞くというより

耳を知ること。

Wyzart inc.

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株式会社WyzartさんのWEBサイトをつくらせて頂きました。WyzartさんはREALFLEETにいた桂さんと、intentionalliesにいた中村さんでやっている、主にはプロダクトをつくっている会社です。東京がヘッドオフィスで、スウェーデンにサテライトオフィスがあります。
どういう会社かといいますと、彼らの言葉を少し借りて僕なりに説明すると、例えば、ダ・ヴィンチのスケッチってあるじゃないですか。あの頃って、テクノロジーもデザインもアートも同列に扱われていた時代で、そのスケッチなんかは見ていて濃いなぁと感じますよね。夢のような、空を飛ぶ装置とか。そういう濃いものが、新たなものというか、新しい世界を生み出すというのをメンバーの共通認識として持っている会社です。彼らは日本人なのですが、世界に対して活動をしているので、今回のサイト内の情報は英語をメインにしています(日本語は小さめに併記しています)。
 
Wyzart inc.
 

今回も、μ1050SWと同様に丁寧につくりました。どの辺りが一番がんばっているポイントかというと、文字です。当たり前な話なのですが、WEBはパソコンの中にあります。僕らはパソコンを使っているので、フォントというものがとても簡単に選べ、文字という情報として気軽に配置する事ができます。メールにしたって、手書きで手紙を書く事に比べると、随分と手放しで相手に手紙的なものを送る事ができます。でも、この「手放しで」というのがずっと僕の意識の中にはあって、今回はWEBの中で、いつもよりもう一歩踏み込んで、誰かに何かを伝えるのにがんばれるだけ丁寧にやりました。誰かに何かを伝えたいとき、丁寧に手紙を書くのと同じような感覚です。

今回、より意識して対峙したのは、「この、フォントを選んで文字を入力するときの、文字と文字の間隔は果たしてこれで良いのだろうか」という疑問です。確かに希望する種類、大きさ、色、行間、文字間をパソコンは再現してくれているのだけど、細かい部分まで見たとき、例えば「とても簡単プリント」という文字列のそれぞれの文字と文字の間隔を決めているのはパソコン、というかフォントをつくった人なのであって、そこに言及しないでいるのは腑に落ちないところがあるのです。フォントをつくった人は、僕が今つくっている、このデザインについて何も知らないわけですから。フォントの持つ雰囲気を気に入って使っている僕がいて、色んな想定をしてフォントをつくった人がいて、でも、この二つがあわさっただけでは、今このデザインには届かないわけです。届かせる努力は僕がするしかないと思いました。

今までも、カーニング(文字詰め)情報というのは、ある範囲の想定しかできていないので万能ではないと思っていて、特に気になるところは調整をしていました(まあ、どのぐらい細部まで見れるかどうかは、プロジェクトにおいての必須な効率によっちゃうんですよねぇ)。それ以上に、僕にとっての文字を使ったデザインというのは、フォントの種類や大きさ、行間や文字間などよりも、文字が並んだときの微妙な位置関係にこそ、その妙があるように思います(それぞれも、もちろん大切ですけどね)。

一般的なグラフィックデザインの、一部の領域では、こういう部分は当たり前に突き詰められているのですが、それは、そもそもが絵を描く事の延長上にあったからだと思います。一部では軽んじられていますが、絵を描くという事はすごい事です。自分、もしくは誰かが描かない限りは何も存在しないものだからです。とはいえ、効率化の流れかパソコンの普及の影響か、グラフィックデザインの中でも、考慮されなくなり始めているように感じます(まあ同じツール(パソコン)を使ってますし、やっている人の移り変わりなんでしょうね。)。

で、似た要素を持つ、新しい領域であるWEBの世界では、デザインという中で当たり前であった事が当たり前に無いという状況があります。でも、その当たり前が無いのが当たり前になってしまったのは、恐らくそもそもが、みんなパソコンを使い始めたばかりで、やれることや再現できる事のレベルが格段に低かったからです。今はもうそういう段階ではないし、これからどんどんそんなわけはなくなっていくと僕は考えています。

でも、一方で今まで人間が感じてやってきたことをパソコンにやってもらうという考えも、きっとあるんだと思いますが、それはそれでパソコンがやれればすごい事だと思います。でも、僕は自分でやった方が面白くて好きなので、僕自身はそういう方向には行く予定は無いです。知らず知らずに流れていたということはあり得ます(苦笑)。

(まだ、作品の写真なんかが入ってないですが、近々入る予定です。不思議な素敵な作品たちです。)
 
まだ、調整の余地もあるのかなと思っているところもありますし、デザイン業の経験値がまだまだな僕がやっていることなので、同様の視点で見ている方から見て良い悪いはわかりません(もちろん僕的には綺麗につくりました)。ですが、そんな疑問を抱えていた僕がこのタイミングで、(μ1050SWも含め)こういうお仕事をWEBでさせていただけたのは、本当に感謝です。桂さん、中村さん、ありがとうございました。やっぱりというか今回も、細部にも神は宿ると、実感できました。

これよりもう一歩踏み込むと、文字の形の話ってのも気になりますね。そういうのもやりたいなぁと思いながらも、世の中のフォントは素敵なのが多いので、あらゆるものをって話になったとき、僕ごときがどうこうできるのかは・・・まあやってみないとわかりませんね(笑)。やりたいことではありますが。

あと、そろそろAS3.0をちょっとでも(できればきちんと)やっておきたいなと思っていたりします。でも、難しそう・・・。Javaに似てる感じだけど、勉強したはの随分昔でしかも基本のみ・・・苦笑。他にもやりたいことあるしな・・・。いや、やらなきゃ駄目じゃないか・・・。うーん。日々苦悩です。

あとあと、今回のBGMも前回同様、高永さんです。素敵な曲に感謝!


- CREDIT

client: Wyzart inc.
direction / design / animation / flash: Hiroaki Yokoyama
sound / tkng(Toshiyuki Takanaga)


-BGMの曲名「rocking chair」

wyzartの先進的なコンセプトに合致するようなサウンドを
漠然と思い浮かべながら、それにフィットするコードを探し、
それらを感覚的に編集しながら、最終的にはサイトのプロトタイプや
デザイン原案にあるようなダ・ヴィンチ的イメージに仕上げました。

どんなにinnovativeなアイデアも、人間の想像力の産物であり、
テクノロジーの進歩とともにそのプロセスは変化し続けても、
その根本にある「思索に耽る」感じを象徴的に表すものとして、
「揺り椅子」の音を最後に足しました。

よって、タイトルも「rocking chair」としました。

高永俊幸

メールとの距離感 / The Distance Between Us And Email

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最近、ようやくiPhoneに慣れてきました。でも、やっぱりバッテリーが不安で不安で・・・。まあ、そんな不安は置いておいて。iPhoneって基本的には覗くためのツールだなと思います。データを取得するという期待をしているとやられるように思います。そんなiPhoneを持って、メールとの距離感について思うことがありました。

普段のコミュニケーションの中で、声をかけることと、手紙をもらうことでは意味が違います。メールは、どっちの意味合いに近いんだろうかと考えました。若ければ若い人ほど声をかけることに似ていて、逆に年を重ねている人にとっては手紙に近いものだと思っているように感じます。
メールが電話の新しい形だとすると、若い人の感覚の方が正しいのでしょう。逆に、メールの語源から手紙の新しい形だとすると、若くない人の方が正しいのでしょう。うーん。年齢によって違う解釈を抱えているのは、何か気持ち悪いもんですね。

で、僕が気がついたのは、たぶん、どちらも違うということです。声と手紙の一番大きな違いは、目に映る明らかなものがあるかどうかです。あ、電話だって履歴が残るとか言わないように。電話は、今や声になることができています。手紙は紙ですよね。メールは、携帯電話などのデバイス上に存在する、他者からの投げかけです。これが実は少しおかしくて、僕もこれに気がつくまではメールがまるで僕の手の中にやってきているように捉えていました。メールは、本当を言うと手元にきていません。いや、デバイス上に確かにきてるんですけど、実は受け取った人は手元にあると思っていないのに、そう解釈をしていないと感じました。
僕が思うに、受け取る側の受け取る責任みたいなものが、都合に合わせて強弱するからなんじゃないかと思いました。だから、声か手紙のどちらかによって解釈しようと考えて、個々人によって捉え方が変わるんじゃないかなと思ったのです。

じゃあ、なんなのかというと、受け取るものというよりは、主体的に見るものなんです。つまり、主体的に見ないというものにもできるのです。これがメールの正体だとすると、なんとも曖昧なものですね。新聞とか雑誌、駅の掲示板でもよいですが、そういうものと同じようなものだということになりますね。まあ、実際の使われ方として、なるべくすぐに返事を返すという方法で使われているので、やっぱり電話や手紙に近いものになっているのですけどね。

で、この話、どこに落ち着くのかヒヤヒヤな僕ですが、これに気がついてメールが今までよりもはっきりと、自分から距離のある存在だと感じることができたのです。だから何か変わるのかとかはわからないですが、はっきりしてすっきりした、という話です。

あと、iPhoneについてもう一つ。

iPhone使ってて、腑に落ちないことが一つあります。それは、ブラウザが落ちまくること。いや、落ちまくるっていっても、落ちた事なんてない携帯サイトや、ほぼ落ちないPCでのブラウジングと比較するとこういう表現になるっていう程度の話なんですが。

でも、そこから僕の想像ははじまりました。これ、部分的にはわざとなんじゃなかろうか?わざとと言うと悪意があるように感じますが、悪意があるんじゃなくて、その問題を解決することの優先順位があがらないのではと思いました。

iPhoneを使い始めてそろそろ4ヶ月。落ちる傾向みたいなのがわかるようになった感じがします。バックグラウンドで色んなアプリが動いていると落ちやすいってのが大きいですけど、普通のブラウジングで落ちるときって、バナーが多いサイトを見ているときな気がしました。

わりと前からバナーって意義が薄くなってないかと疑問視している僕だからなのかもしれませんが、広告としては、ぶっちゃけちょっと色んな所で使われすぎてると思うんですよね。そこかしこで同じバナーを見たりもするし、とにかくたくさんありすぎです。上の話と少しかぶりますが、広告からの情報の得方も色々あって、広告があったおかげで知る事ができた!っていうポジティブなこともあると思いますが、ここまで膨らんでしまった状態ならむしろ、主体的に得ようとするときに得られるのが広告という形に押し込めた方がまだましだと思ったりします。

インターネット上に限らず広告全般に言えることで、インターネットが普及してから一番変わったのは、情報を得る手段が格段に広がったことで、その広がりにあわせて大量にばらまくのではなくて、その広がりや繋がりを上手く使ってピンポイントに広告をしていくことが大切なのだと思います。そういう傾向に戦略立てているところも多いですけど、バナー枠を用意する側はそうでもないですね。

ちなみに、GoogleやらYahooやらmixiがやっているターゲットを絞った広告表示はまだまだ早いと思います。見る人のそのときの気持ちも汲み取れるようになってからやるのが良いと思いますよ。せめて体調ぐらいは考慮できないと。機嫌の悪い奥さんが八百屋の前を通ったとき、いつも通りに声をかける八百屋さんはいませんよ。まあ、そんな伺ってくるようなウェブサイトって、今想像すると相当気持ち悪いですが(苦笑)。

こだわり大人スタイル(続き) / The Continuation of The Special Site of μ1050SW

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秋の初めに公開した、μ1050SWのスペシャルサイト「こだわり大人スタイル」ですが、あれ以来色々とコンテンツが増えており、一通りの内容が出そろったので、もう一度ご紹介を。

今回はスクリーンセーバーとブログパーツを久々につくらせていただきました。ブログパーツはこのページの右のちょっと下の辺にあると思いますが、シンプルな時計のものです。

あとは、インタビューの素敵な4人の女性が出そろいました。昨年縁あって知り合った、建築家の永山祐子さんにもインタビューをさせていただきました。インタビューは全て同行させて頂いたのですが、それぞれの方から、今までの経緯なんかが聞けてとても面白かったです。
インタビュー内では出てきませんが、僕は永山さんがつくった「丘のある家(屋根に木を模したものがある)」という住宅がとても好きで、ああいうバランスの取り方って良いなぁと思います。届かない場所というテーマも深いですし。永山さんの取材という事で、FWDの阿野さんの写真も使わせて頂きました。永山さん、阿野さん、ありがとうございました!

手ぬぐいと源氏香箱 / Facecloth And The Box of Genji

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今年の夏に、神楽坂にあるラ・ロンダジルというお店で、とてもかわいい手ぬぐいに出会いました。ロンダジルは何年か前に友達に教えてもらって、それからちょくちょく行く雑貨屋さんです。お店に置いてあるものがいつもとても良いので、定期的に立ち寄らせてもらっています。

で、この手ぬぐい、なんというか実に愛おしいのです。初めて見たとき、ちょっとびっくりしました。あひるの古い名前からとった「あひろ屋」という女性の手ぬぐい屋さんがつくっています。僕は上の写真の海月と、下の写真の延段などを買わせてもらいました。

それと、その手ぬぐいと一緒に出会ったのが源氏香箱。むかしむかし、源氏香という遊びがありまして、その遊びのルールを示す源氏香図というのがあったそうです。においの組み合わせを嗅いで当てる、とても面白そうな遊び。その図を用いて、瓦の蓋がついた木の箱をつくられている方がいました。

これもとても素敵です。模様ごとに名前がついていて、僕は葵、梅枝、御法を買わせてもらいました。淡路島でつくられているそうです。淡路島には色んな作品をつくられている方々がいらっしゃるようで、そのうち実家に帰りがてら行ってみたいなと思いました。