← Tokyo TDC, Vol.19- The Best in International Typography & Design | HOME | SANSHO for toilets →

エコロジーとものをつくること / Ecology and Designing

ものをつくることとエコロジーについて考えていた。

限られた資源を有効に使おう!とか、リサイクル率95%以上の製品しか作りませんとか、色んな主張がされている。限られた資源を有効に使おうという投げかけは、普段の生活の中で自分たちがどのぐらい資源を使っているのか認識する人たちを増やすことができているんだろうか。また、リサイクル率95%を掲げれば、単純にものとして人生に必要か不必要かは関係なく、もっと何かのために努力できるのに、そのままで肯定されているような物もたくさんあるんだろう。

エコロジーであるかどうかを誰かが審査することは、人が自然を審査するようなものだと僕は思った。例えは悪いかもしれないが、この辺に道が欲しくて、この辺の山の中でこの山は綺麗じゃないからまあ無くしちゃっても良いよね、とかってときの無くしちゃう山を選ぶ感覚に似ている。普通に考えればそれで良いはずはなく、その前段に問題があるのに。

こういうことを趣味で考える分には、深く色々考えられて良いのだが、最近のエコロジーは、全体としてちゃんと考えられた主張であるかどうかは関係なく、とにかくある一面のみであっても効果あるんですって言えちゃえば、それが絶対の善として存在しようとするところが怖い。健康問題も教育問題も同じようなもんだと思う。ある部分を急に持ち上げることが、全体としてどういう影響をもたらすのか、はあまり考慮されない。

白洲次郎の影響か、ちょっと前にたくさんのニュースの中で電気の記事が目に入った。オール電化はそれほどエコロジーではない、という話。コンビニの袋のことだって、割り箸のことだって、オール電化に対するのと大差ないような否定ができるんだと思う。でも、社会がそれぞれの行為をエコだと言っていて、それを信じてエコだと思う人がいる。それだけで、その行為を行う自分が、自分の中で社会的に(この表現は少し難しい。ネガティブな意味ではないです)正当化されている状態になれる。今の時代にできた自己正当化のための新しい手法なんだと思う。(補足しておくと、悪い意味で正当化という言葉は使っていない。無自覚ながら、僕も含めみんな、それが良いと思って生きているものだと、僕は思っています。)人間が自己を正当化していたい、できない状態があまりに長いと死んでしまうということは、何となく理解できているのだが、この正当化のために失っていることをきちんと理解しないと駄目だと思う。
また、失うこと以前に、本当に正当化できることというのは、そんなに簡単な事じゃないんじゃないかと思う。それこそ、一生をかけてみて、ああ良かったと思えるかどうかぐらい先の長い、もしかすると、いわゆる人生の目標とも言い換える事ができるかもしれないようなものなんじゃないかと思う。

ものをつくることに話を戻す。

「贅沢や利便性なんかのために資源を使っているにも関わらず、ゴミになってしまうようなものをつくることは、絶対にしてはいけない。だから、人が生きる必要最低限のもの以外はつくらないほうが良いんじゃないか。」こういう心境に陥ってしまう状態は、上に書いたような新しい正当化が生み出していると思った。そのままそれは、エコロジーによってものをつくることは否定されている、と僕に感じさせている。

例えば、手を出される事に抵抗の無い正当化が目の前にあって、みんながそれに則して、便利さをせーので手放すなら、その正当化は意味を成すことに繋がるのだと思うけど、何か目に見える目標というものを掲げて、みんなが一斉に何かやるっていうことの難しさにはそろそろ気がついてきた。

こんな風に考えていると、目の前の正当化を感じながらも、それでもそこに依らずにものをつくることって大切なんだなと思った。もし、その正当化を受け止めて、結果ものをつくることを止めることになったとしたら、それは本末転倒じゃないかと思った。「いや、そんなことはない。ものをつくる人はいっぱいいるから減るのは大歓迎じゃないか。」と誰かは言うかもしれない。でも、僕がつくらないとしても、代わりに誰かが何かの形でつくってしまう。この流れはとても自然なことなのであって、であれば、僕は、手を出される事に抵抗の無い正当化に依らず、僕がつくろうと思うのだ。

自分を正当化するときの根拠(こういうのを信念というのかな)は、ものをつくるときは特に、自分がそうだと感じることの方が良い。自分や自分以外の人たちが、知って見て触れて何を思いどう感じるのかを考える事をするのが良い。例えば統計の甘い罠に頼り切ると、いつの日か色んなことがわからなくなり、色んなことがどうでもよくなるような気がした。


少し話が前後してしまうけど、最近のエコロジーってひどいのが多いなって思う。例えばカーボンオフセット。Yahoo!がやっているのをみて、それお金じゃんと思った。自分のやったことに責任をもつというのは、お金だけをどうこうしてもしょうがない。やってしまったことを何かに置き換えたんじゃ、また同じようなことを違う形でやっちゃうだろうし、何でもかんでもお金に変えられるってもんでもない。もうちょっと言うと、個々人の二酸化炭素の排出量を気にする前に、もっとあるだろうと思うし。でも、難しいのかな。

色々書いたけど、マイバッグとかマイ箸を使う事はとても良い事だと思います。僕は使っていませんが・・・。まあ、マイバッグを使うかどうかで善悪がどうこうっていうことじゃなく、エコロジーなのかどうか、自分を含め、誰かのためになっているのかどうか、を自分で考えてやれているなら、それで良いのだと思います。こういうみんなのことって省略したり簡略化する意味は無いし、反省があるから先に進むものなんじゃないですかね。ものをつくることも、同じだと思います。リサイクルできることも、それなりに大切ではありますが。

少し前からちょこちょこと書いていたので、文章が散漫だ・・・。そのうち書き直す・・・かな。とりあえず公開ってことで。

Sorry, I have not translated this article yet.

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://journal.morld.jp/sys/mt-tb.cgi/174

コメントを投稿 / POST COMMENT

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)