85%汚れている、と亀。/

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今朝、夢を見ました。
知人と話をしていました。話というか、カウンセリングを受けてる感じ。

僕は85%汚れていると言われました。

でも、85%汚れているとしても、問題はたくさんあるけど、
僕はこうして生きていて、全体として何の問題もない。
だから僕は彼女の言う事の続きを聞こうとはしませんでした。

そのとき、
ああ、僕はいつもこうやってるんだなぁ
と思いました。

そんな夢。


最近、亀をよく見てるのだけど、見てるとなんかへこむ。

亀自身が謎の箱に押し込められているおかげで
本来生きるために備わっている能力を発揮する事なく
いつしか死んで行ってしまうのだろうと
想像してしまうのが駄目なのか。

はたまた、水槽という謎の箱は、たまたま今
この目に見えているだけで、
結局は僕も同じ事で、例えば狩りをすることもできず
例えば水を探す事もできず、
いつしか死んで行ってしまうのだろうかと
想像してしまうのが駄目なのか。

ここしばらく、凝視するのはよそう。

きょうのそらは /

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今日の 夕方の そらは
見たことの無い あおの そら

水色の 綺麗なところが 集まって
鼠色の 綺麗なところに 続いていた

内側が かすれた 三日月
小さく 強く光る 金星
揺れる葉
半球の街灯
少し冷たい風


ちょっと感動。
良いそらだ。
こういうのはなかなか見れません。
記憶メモ。

見た事の無い真直ぐ / The Streight That I Have Never Seen

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見た事の無い真直ぐ

僕は真直ぐなものを見た事があるのだろうか。

ふと、文明の利器無しに、どうやって真直ぐな状態をつくり出せば良いのかを考えていました。木を削ってつくる。竹を裂いてつくる。紙のような薄いもの(葉っぱとか)を折ってつくる。糸を紡いで垂らしてつくる。石を割って磨いてつくる。色々考えていたんですが、なかなか難しい。問題は精度にあります。

困っていたところ、点と線という人間のつくり出した概念に深く関わりのある、真直ぐっていうのは、未だに物体として表れた事はないんだろうと思ったのです。限りなく真直ぐに近いとか、人間の目では人間の計測では真直ぐであるとか、そういうものはたくさんあるのだけど。
ただ、ある真直ぐには固有の重みみたいなものがあって、熟練の職人がつくるとか、広大な大地や海の広がる果ての地平線とか水平線とか、そういうものは数値的な真直ぐである事実は特に必要なく、真直ぐで美しいと思えるのです。

でも、僕は今回の思考の中で、本当に真直ぐのものを見た事があるのか、と自分に問いかけてみました。想像できないその真直ぐさを眼前にする想像をしてしまい、見た事がない、見たいと思ってしまいました。

僕らは普段、定規を使って直線を引いています。その真直ぐである定規は一体どうやってつくるんだろう。もし、その真直ぐが真直ぐではないなら、真直ぐな線はひけません。結局はそれが真直ぐであると信じるかどうかが問題で、それを信じるに足る重みを持たせる事が必要なのです。定規は世界標準的な真直ぐであると信じさせる重みを持っているのです。持っているというか、持たされているというか。僕はそれを信じる事ができていないんだなって思ったのです。

例えその、真直ぐなものを見たとして、どういうことがあるのかはわからないですが、想像できない真直ぐさがあるかもしれないという想像をしてしまったので、考えていこうと思います。

20070505が見たかった / I Wanted To See "20070505"

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タイトルの通りです。
ただ見たかったのです。
こどもの日ですね。