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教育再生会議第1次報告要旨について / not translated yet

ちょっと衝撃を受けました。最近、公の発表する内容に驚く機会が多いです。ちょっと前に見た、「いじめがないかどうか、学内を検査をしてください」を今回は遥かに超えていました。こういう文章を平気で発表する気持ちが僕にはわかりません・・・。

asahi.comの以下のページから引用します。
http://www.asahi.com/politics/update/0124/010.html
http://www.asahi.com/politics/update/0124/011.html
http://www.asahi.com/politics/update/0124/012.html

一部引用:
24日にまとまった教育再生会議の第1次報告の要旨は次の通り。
■1 第1次報告に当たっての基本的考え方
私たちは、子供たち一人ひとりが充実した学校生活を送り、自ら夢と希望を持ち、未来に向かって多様な可能性を開花させ、充実した人生を送るために必要な力を身につけて欲しいと思います。
イノベーションを生み出す高度な専門人材や国際的に活躍できるリーダーの養成が急務です。

僕の意見:
イノベーションを生み出す高度な専門人材や国際的に活躍できるリーダーという、人が生きる上ではかなり偏った価値観を国の最上位の価値として提示しているのに驚きました。それができないようじゃ充実した人生とは言えないと言っているようなもので、生来、そういうことを人生の価値の真ん中に置くことがない人がたくさんいることに気がついているのでしょうか。みんなが平等であることを目指している国だということはわかっているのですが、職業や能力の内容によって差をつけていることに気がついていないように感じます。直前で言っている「多様な可能性」をいきなり絞り込んでいる感じもします。


一部引用:
教育は保護者の経済力にかかわらず、機会の平等が保証されるべきで、絶対に教育格差を生み出してはいけません。

僕の意見:
機会の平等を目指すことは良いことでしょう。が、わざわざ言うべきではないと感じます。特に教育格差という言葉に対してもっと配慮した方が良いと思いました。もしテストの結果が悪い子を持った親の場合、教育格差(意味を取り違えていたとしても)を感じずにはいられないでしょう。だって、子供に「発表させてもらったことが無い」なんて言われちゃえば、親は信じるでしょう。信じるというか、その言葉を聞いてしまった以上、先生の弁明なんて聞く気にもなれないものになってしまい、最近流行の教育者叩きがはじまるのでしょう。そんなの、僕なら先生にはなりたくないですね。


一部引用:
■2 教育再生のための当面の取り組み
《七つの提言》
【1】「ゆとり教育」を見直し、学力を向上する
基礎学力強化プログラム→授業時数の10%増加、薄すぎる教科書の改善
——学習指導要領を改訂し、読み書き計算の能力や、対話・意思疎通能力などの基礎を重点的かつ効率的に学ばせる▽小学校高学年の理科、算数などについては専科教員を増やす▽補習などを行う「土曜スクール」を実施
全国学力調査を新たにスタート、学力の把握・向上に生かす
伸びる子は伸ばし、理解に時間のかかる子には丁寧にきめ細かな指導を行う

僕の意見:
ゆとり教育の改善は良いですね。むしろ、ゆとり教育という名前をやめたらどうかと思うのですが。この名前が示す所は、のびのびと自由に個々人の意向を汲み取りながら、学んでもらうという方向なんでしょうが、経験則的に”自由に”というのはとても不自由で、個々人が望むことをもっと汲み取れる教員と生徒の関係をつくれるようになった方が良いと思います。ただ、今の世の中で、自由に苦悩を表現する親群のそれぞれを一個人として見ている子供たちは、一個人である親から意見を言われたじろいでいる先生群のそれぞれを一個人として見てしまう傾向というのがあるように感じています。それが悪いことではないと思うのですが、その分、彼らより年上である僕たちの知る「子供時代の自分の心」とは確実に違う心を持っていることをもっと認識した方がよいと思っています。


一部引用:
いじめと校内暴力を絶対に許さない学校をめざし、いじめられている子供を全力で守る

僕の意見:
「いじめられている子供を全力で守る」と提示してますが、ひどい言葉だと思います。漫画のヒーローの台詞みたい。この提示を見て逆にいじめが増えないか心配です。何故いじめが起こるのかを理解していないように思えてしょうがないです。僕もきちんと理解できているとは思えませんが、そういう方向じゃないことはわかります。僕が思うに、いじめる当人たちにいじめてやろうというモチベーションは無いと思います。何かしらの流れがあって、その惰性により悪化して表面化してくるのがいじめというものじゃないかと思うのです。だから、その流れを常に意識していくことが大切ですし、そこを理解しない限りは、守った所で守りきれるものではないでしょう。


一部引用:
——学校は、校則に反社会的行為の禁止を明確に示し、いじめている子供には校則違反として厳しく対処
いじめている子供や暴力を振るう子供には厳しく対処、その行為の愚かさを認識させる→出席停止制度を活用し、立ち直りも支援
——学校は、指導や懲戒にもかかわらず、反社会的行動をとる子供に対しては、個別指導や別室での教育などを行う。その際、社会奉仕等の体験活動を採り入れることも考えられる
暴力など反社会的行動を繰り返す子供に対する毅然(きぜん)たる指導、静かに学習できる環境の構築

僕の意見:
いじめと喧嘩の違いはどう解釈されているのでしょうね。校則違反だという決まりをつくっても、そのことが火種になることは容易に想像できます。反社会的行動をとる子供と思っているのなら、その社会とは何か、社会的行動とは何かを、みんなが同じ時間を共有する中で共通の理解として持って行く方が健全だと思います。そのためにできるを具体的には書けませんが、校則違反だという決まりをつくるのではないと思えます。
まあ、飲酒運転と同様に、ある点において罰則を強化することは良いかもしれませんね。もし決まりをつくるのであれば、いじめる側を罰する規則ではなく、そこに関わったことのある者全てを対象とするべきかもしれません。ちょっと極端かもしれませんけど・・・苦笑


一部引用:
【3】すべての子供に規範を教え、社会人としての基本を徹底する
社会人として最低限必要な決まりをきちんと教える→学習指導要領に基づく「道徳の時間」の確保と充実、高校での奉仕活動の必修化、大学の9月入学の普及促進

僕の意見:
社会人として最低限必要な決まりをきちんと教えるとありますが、現状の複雑な社会においての、僕らが子供の頃にしたことのないような複雑な思考をする子供たちに、ある一面を取り上げて社会だと示し、みんながこうして幸せにしていると説いた所で、果たしてどの程度理解されるか疑問を感じます。とはいえ、やらないよりは良いと思います。ここで必要なのは、どのように理解される可能性があるのかを一生懸命考えておいた方がよいでしょうね。


一部引用:
父母を愛し、兄弟姉妹を愛し、友を愛そう→体験活動の充実
——30人31脚など集団スポーツ活動、ロボット・コンテストなどのグループで取り組む学習活動などを通じて心身を鍛え、達成感を共有させる▽古典や偉人伝などの読書、民話や神話、茶道・武道などを通じて、徳目や礼儀作法、形式美を身に付けさせる

僕の意見:
こういうのは良いですね。積極的にやると良いんじゃないでしょうか。ただ、パターン化してしまうのが公的機関の悪い所だと思っているので、何をするとどうなるのかは現場を含めた管理陣は常に意識した方が良さそうです。


一部引用:
【4】あらゆる手だてを総動員し、魅力的で尊敬できる先生を育てる
社会の多様な分野から優れた人材を積極的かつ大量に採用する

僕の意見:
上の方でも少し書きましたが、先生というものに対する子供の認識は変わっていると感じます。そして、魅力的で尊敬できる”先生”は育てることはできないんじゃないかと思っています。先生というものがどうあるべきか、何なのか、についてもうちょっと深く考えてほしいと思います。
もしかすると、先生と対になるような立場の役割を持った人が必要なのかもしれません。今までは先生対生徒であった関係が、今は個人対個人になっていることがポイントなのだと思っています。このままの状態が現状の問題を生んでいるとするなら、個人対個人を”何か”対個人にするしかないのかもなぁとふと思いました。
あと、この提示にある「あらゆる手だてを総動員」という言葉。本当にこの文章の表現はいかがなものかと、悲しくなってきました・・・。


一部引用:
——教育委員会は、社会人経験者も積極的に採用
頑張っている教員を徹底的に支援し、頑張る教員をすべての子供の前に→メリハリのある給与体系で差をつける、昇進面での優遇、優秀教員の表彰
不適格教員は教壇に立たせない。教員養成・採用・研修・評価・分限の一体的改革

僕の意見:
ここまでくると、もうまるっきり企業ですね。メリハリのある給与体系の中で、夢中になってお金を追いかけながら競争する先生たちをみて、何を感じてほしいのでしょうか。不要だとは言いませんが、表に出さないことが大切でしょう。


一部引用:
——教員の評価を校長や教育委員会が行う際に、保護者、学校評議員、児童・生徒からの意見も反映させる▽新卒教員についても、1年間の条件付き採用期間終了時に、資質や適格性を厳格に判断する仕組みを導入
真に意味のある教員免許更新制の導入
——教育職員免許法等を改正し、教員免許更新制を導入。その際、実績や外部評価も勘案しつつ、講習の修了認定を厳格に行う▽指導力不足と認定されている教員は研修を優先的に行い、改善が図られない場合、分限処分を有効活用し、免許状を取り上げる

僕の意見:
こういう見直すための制度は必要でしょうね。っていうか、今まで無かったんですかね。まあ、そうか。


一部引用:
【5】保護者や地域の信頼に真に応える学校にする
学校を真に開かれたものにし、保護者、地域に説明責任を果たす

僕の意見:
もしかすると、閉ざした方が良い面もあるんじゃないでしょうか。その辺りは検討しているんですかね・・・。


一部引用:
【6】教育委員会の在り方そのものを抜本的に問い直す
教育委員会の問題解決能力が問われている。教育委員会は、地域の教育に全責任を負う機関として、その役割を認識し、透明度を高め、説明責任を果たしつつ、住民や議会による検証を受ける
——教育委員の計画的な研修を実施
教育委員会は、いじめ、校内暴力など学校の問題発生に正面から向き合い、危機管理チームを設け、迅速に対応する
——いじめを放置、助長、加担した教員に対しては、減給などの目に見える措置を講じ、公表

僕の意見:
この文章の中には、色んなことに対して罰則を強化する方向がたくさん書いてありますが、「減給などの目に見える措置を講じ、公表」することで世間を煽ることになるんじゃないかと心配してしまいます・・・。これを読んでいると、学校内での教員を持ち上げたいのか、弱者にしたいのか、わからなくなります。


一部引用:
【7】「社会総がかり」で子供の教育にあたる
家庭の対応——家庭は教育の原点。保護者が率先し、子供にしっかりしつけをする→「家庭の日」を利用しての多世代交流、食育の推進、子育て支援窓口の整備
——早寝早起き朝ごはん運動の推進などを通じて、生活習慣の改善に努める。家庭学習の習慣をつけるよう各家庭でも努力

僕の意見:
こういうのは良いかもしれませんね。でも、いわゆる家庭というものに対してだけやっても駄目だと思います。みんなでやらないと。


一部引用:
——企業の経営トップは「ワークライフバランス」を経営上の基本方針の一つとして位置づけ、育児・教育に活用できる有給休暇制度などの諸制度の改善・充実を図る

僕の意見:
言いたい気持ちはわからなくもないのですが、「君は妻も子供もいないから残業よろしくね」と言わせたいのでしょうか。社会における企業の問題は、山積みだと思います。そんな状態の所に、子供の教育という立派な名目を用意して従わせることは止めた方が良いように感じるのですが・・・。


一部引用:
社会全体の対応——有害情報から子供を守る
——テレビの視聴、インターネット利用などについてのルール作りやフィルタリングの活用などにより家庭自身でチェックする

僕の意見:
この問題は大切です。まあ、有害情報から子供を守るとはちょっと違うと思いますが。真剣に考えることができるのは公的機関だけだと思うので、がんばってほしい所です。


と、だらだらと色々書いてしまいました。それぞれに対して文句があるとか、間違っているというような雰囲気の記述を書いてありますが、実は細かいことはどうでも良くて、ただただ、この文章は酷いと思ったので、勢いに任せて色々書きました。

原文はこちら。
首相官邸ホームページ > 会議等一覧 > 教育再生会議 > 教育再生会議 第1次報告について

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