2 robots on a beach

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2 robots on a beach

ロボットは組み込まれたプログラム通り動くのが基本です。僕はロボットに関する知識は乏しいですが、ロボットではやりにくいことが何かは何となく知っています。「それがそれだとわかること」 これが一番難しいことだと思っています。ロボットに「それがそれだとわかること」をさせるためには、対象物の情報をプログラムに組み込むというやり方だけでなく、根本的な流れや環境から変えていく必要があると考えます。しかし、根本的な流れや環境を変えることが難しいことは、この世にはとても多くあると思っています。そして、それがそれだとわからないと、ロボットに対して命令することはできないと思っています。

そこで、そのロボットが苦手な部分を人間が上手く補佐しながら、何かできないかと考えていたところ、思いついたのがこの「2 robots on a beach」です。

この2体のロボットは、1体がゴミを拾う機能、もう1体がゴミを受け取る機能をそれぞれ有しています。そして、常に行動を共にしながら、ある海辺のゴミを拾い集めていくのです。そして、人間の補佐は、この「ゴミを拾う」というところに関わってきます。人間が目視して、「これがゴミだよ」と教えてあげることで、ロボットはそれがゴミだとわかり、ゴミを集めることができるようになります。

ここで問題なのが、「人間が指示する」というところですが、これをインターネットの不特定多数の人間により行うことを考えました。個々の持つ僅かな時間を集めて、目的を達成しようと言う試みです。

少し具体的に書くと、専用のWEBサイトを用意し、そこにロボットに付けたカメラからの映像を映します。映像を見ながら、ユーザーはゴミをクリックします。そうすると、指示された位置の座標が計算され、現地のロボットに送信され、移動して拾うわけです。ロボットは自分がそれを拾うことができるのかという判断をして、無理ならその情報をサーバに返します。
WEBサイトなので、同時に相当数のユーザーがアクセスすることになりますが、計算された座標はサーバに蓄積され、定期的にロボットに送られるようにすることで、ゴミをどんどん拾っていくことができます。

ユーザーとしては、環境に対して何かできないかと思っている人を想定しています。ただ、インターネット経由でロボットを操作できるということに対する興味を多くの人が抱いてくれるのではないかと思っています。

ここで、何故ゴミ集めなのかを書いておきます。環境を綺麗にする目的というのももちろんあるのですが、インターネットがあるおかげでこの労働力の集積が実現するのです。その労働力の結果としては、「個体への利益が無い」「危険が無い」というのが必須だと考えました。それは、まだインターネットに対する人間の意識が根付いていないため、悪戯や不平不満が生まれやすいと考えたためです。これを通して、「社会に対し影響を与えることができるインターネット」という一面を少しでもつくることができたら良いと思っています。

ちなみに2体にしたのは、監視し合えることや、1体にすることの方がコストがかかるのではという想像から考えました。あとは、何となく、2体のロボットが寄り添いがんばっている情景ができることで、いわゆるロボットによる自動化ではない状態を示せるのではないかという思いもあります。

この企画が発展する先には、ごみの分別とか下水道の検査とか、不特定多数ではなくなるかもしれませんが、ある資格を有する人を対象に例えば地雷除去など、普通の人間にとって大きな危険があったり、やってもやってもキリがないようなことを、労働力の集積とロボットとの恊働を通して問題を解決していけたらと思っています。個人的にはジャングルとか海底探検なんかも楽しそうだなって思います。

最後に。
今回僕がつくったのは、企画の草案とロゴとイメージだけです。あとこの企画に必要そうなのは、こんな感じだと思います。
・ロボット開発
・ロボットに指示を出すインターフェイス開発
・WEBサイト構築
・運営及び管理機関の設立

道のりは長そうです・・・。

ead - email as dialogue

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ead3.jpg

今回の企画は、「偏った使われ方ではなく、使用可能な人ほぼ全員が使うようなサービス」の方を考えました。企画を考えながら、ロゴだけつくりました。

携帯電話は、僕が言うまでもなく、世間にしっかりと浸透をしていると実感しています。また、先日のニュースでモバゲーという携帯電話向けのWEBサイトが1日2億PV(2006年12月時点。会員数259万人、月間PV48億6700万)を突破したと聞き、人によっては使っていないi-modeもそれだけの人数が使っているのだと感心しました。しかし、モバゲーの利用者の中心は10代です。これだけたくさんの人が使っている携帯電話ですから、もっと幅の広いものがあるだろうと思うわけです。

このeadとは、日本語で言うと、「対話としてのメール」という意味です。僕らは生活の中で何かわからないことを知人に聞いて解決したりします。パソコンを使っている人にとっては、その「何かわからないこと」の聞き先として、GoogleやYahooがあり多くの方に利用されています。ただ、パソコンを使ってインターネットを利用している人の数は、インターネットを使っている人の中では恐らく半分に満たないのではないかと(勝手に想像して)思っています。ちなみにGoogleやYahooは携帯電話でも使えますが、画面の小ささやi-modeなどの使用という壁があり、それほど多くの人は利用していないと考えています。
そこで、何かわからないことがあったとき、友達にメールで聞くのと同じように、知りたいことを教えてくれるサービスがあれば、便利に使えるのではないかと考えました。ただし、何でもかんでも聞けるというサービスではありません。それは、Googleのメールサービスで既にあります(g@google.jpに調べたい言葉をメールすると検索結果が返ってきます。)し、何でもかんでも聞ける状態は、欲しい答えがなかなか手に入りません。というわけで、絞った事柄に対して、それを実現した方が良いと考えました。
僕が聞けると良いなと思うことを以下に挙げておきます。これらを考えた基準は、如何に生活に密着した情報かどうかということです。
・電車の時刻表など交通機関の情報
・お店、機関の営業時間や営業日
・ゴミの日
・国語辞典、和英辞典
・英和辞典
・歴史の出来事
・知人の連絡先
・出版物、製品の発売日や詳細
・映画、イベントの日程や詳細

最後にこの企画について簡単に書きますと、会話の途中で「あれって何だっけ?」となるようなことが携帯電話のメールで聞けるとよいなと思ったということです。

っていうのを考えていたら、ニワンゴという会社が2006年からやっていました。西村博之と発想が同じなのか・・・。ちょっと考え直した方が良いような悪いような・・・。とりあえず、このニワンゴ使ってみようと思います。しかし、この2ちゃんねるらしいイメージづくりが、僕はどうにも好きになれない。デザインがというよりも、あの特有の言葉遣いが特に苦手です。
ちなみにニワンゴは最近ちょっと話題になったニコニコ動画(β)をつくった会社です。あれもちょっと考え方が似ていると感じました・・・。

考えている企画 / Thinking Projects

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これから、僕が考えていた企画をjournalでちょこちょこと書いていきます。僕はお金がないので、どなたかこの企画を一緒にやりませんか?とは言えませんが、もし興味をもてた方がいらっしゃったら反応してもらえると嬉しいなと思って書きはじめてみます。自分の中にあるがどうすりゃいいのやらと止まっていることがたくさんあるので、出してみてまた考えたり、全く別のことを考えたりしようって思ったのです。

morld.jpをやっている動機でも書きましたが、僕は「インターネットに対する世間の意識」を今とは違うものにしたいと考えています。多くの人がリアルな社会とインターネットの社会を別のものとして捉えています。そして、リアルな社会の中での普段の立ち振る舞いが、インターネットの中では(恐らく意識せずに)できていないことを僕は問題視しています。
インターネットの世界はヴァーチャルであるとよく書かれていたりしますが、あれは嘘です(僕はそう思う。一部の側面から見ると事実でしょうけど。)。その意識せずに普段とは明らかに違うことをしてしまう行為は、確実にその人に影響を与えていると思っています。とても端的に書くと、自分の生活の中で、丁寧さを無くしてしまう状態になるべきではないということです。
しかし、インターネットに対する信頼が無いという現状を変えていかないと丁寧にもなれないと感じています。そして、そこまで信頼できないものをここまで生活に深く関わらせているわけですから、そこをきちんと意識しておかないと、リアルな社会にも大きく影響が出てくると考えています。(すでに出てきていると感じています。)

そこで、今僕は方向として二つ考えています。一つは偏った使われ方ではなく、使用可能な人ほぼ全員が使うようなサービスを考えることと。もう一つは、偏っていてもインターネットを使ったサービスが、リアルな世界に対して、誰もが目に見える形で何かしら変化を与えること。この二つの方向性を持って、インターネットに対して信頼することと、インターネットの社会とリアルな社会という二つに分かれるものではないということが意識されていくと良いなと思っています。
ちなみに、前者はとても難しいと思います。ある土壌があっての「使いたい」というモチベーションだと思うので。とはいえ、無ければ使うかどうかすら考えないので、少しずつでも考えていきたいです。

Avance Nishi-kasai (内覧会の案内を追加しました)

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Avance Nishi-kasai

I created signs for the condominium building which Architect: Mr.Tomikawa created in Nishikasai.

Life with Flowers

冨川さんがやっているアヴァンセ西葛西という西葛西にあるマンションで、サインをつくらせてもらいました。

くらしに花を添える

more pictures / 他の写真はこちら
内覧会情報はこちらのページの下の方です。

教育再生会議第1次報告要旨について / not translated yet

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ちょっと衝撃を受けました。最近、公の発表する内容に驚く機会が多いです。ちょっと前に見た、「いじめがないかどうか、学内を検査をしてください」を今回は遥かに超えていました。こういう文章を平気で発表する気持ちが僕にはわかりません・・・。

asahi.comの以下のページから引用します。
http://www.asahi.com/politics/update/0124/010.html
http://www.asahi.com/politics/update/0124/011.html
http://www.asahi.com/politics/update/0124/012.html

一部引用:
24日にまとまった教育再生会議の第1次報告の要旨は次の通り。
■1 第1次報告に当たっての基本的考え方
私たちは、子供たち一人ひとりが充実した学校生活を送り、自ら夢と希望を持ち、未来に向かって多様な可能性を開花させ、充実した人生を送るために必要な力を身につけて欲しいと思います。
イノベーションを生み出す高度な専門人材や国際的に活躍できるリーダーの養成が急務です。

僕の意見:
イノベーションを生み出す高度な専門人材や国際的に活躍できるリーダーという、人が生きる上ではかなり偏った価値観を国の最上位の価値として提示しているのに驚きました。それができないようじゃ充実した人生とは言えないと言っているようなもので、生来、そういうことを人生の価値の真ん中に置くことがない人がたくさんいることに気がついているのでしょうか。みんなが平等であることを目指している国だということはわかっているのですが、職業や能力の内容によって差をつけていることに気がついていないように感じます。直前で言っている「多様な可能性」をいきなり絞り込んでいる感じもします。


一部引用:
教育は保護者の経済力にかかわらず、機会の平等が保証されるべきで、絶対に教育格差を生み出してはいけません。

僕の意見:
機会の平等を目指すことは良いことでしょう。が、わざわざ言うべきではないと感じます。特に教育格差という言葉に対してもっと配慮した方が良いと思いました。もしテストの結果が悪い子を持った親の場合、教育格差(意味を取り違えていたとしても)を感じずにはいられないでしょう。だって、子供に「発表させてもらったことが無い」なんて言われちゃえば、親は信じるでしょう。信じるというか、その言葉を聞いてしまった以上、先生の弁明なんて聞く気にもなれないものになってしまい、最近流行の教育者叩きがはじまるのでしょう。そんなの、僕なら先生にはなりたくないですね。


一部引用:
■2 教育再生のための当面の取り組み
《七つの提言》
【1】「ゆとり教育」を見直し、学力を向上する
基礎学力強化プログラム→授業時数の10%増加、薄すぎる教科書の改善
——学習指導要領を改訂し、読み書き計算の能力や、対話・意思疎通能力などの基礎を重点的かつ効率的に学ばせる▽小学校高学年の理科、算数などについては専科教員を増やす▽補習などを行う「土曜スクール」を実施
全国学力調査を新たにスタート、学力の把握・向上に生かす
伸びる子は伸ばし、理解に時間のかかる子には丁寧にきめ細かな指導を行う

僕の意見:
ゆとり教育の改善は良いですね。むしろ、ゆとり教育という名前をやめたらどうかと思うのですが。この名前が示す所は、のびのびと自由に個々人の意向を汲み取りながら、学んでもらうという方向なんでしょうが、経験則的に”自由に”というのはとても不自由で、個々人が望むことをもっと汲み取れる教員と生徒の関係をつくれるようになった方が良いと思います。ただ、今の世の中で、自由に苦悩を表現する親群のそれぞれを一個人として見ている子供たちは、一個人である親から意見を言われたじろいでいる先生群のそれぞれを一個人として見てしまう傾向というのがあるように感じています。それが悪いことではないと思うのですが、その分、彼らより年上である僕たちの知る「子供時代の自分の心」とは確実に違う心を持っていることをもっと認識した方がよいと思っています。


一部引用:
いじめと校内暴力を絶対に許さない学校をめざし、いじめられている子供を全力で守る

僕の意見:
「いじめられている子供を全力で守る」と提示してますが、ひどい言葉だと思います。漫画のヒーローの台詞みたい。この提示を見て逆にいじめが増えないか心配です。何故いじめが起こるのかを理解していないように思えてしょうがないです。僕もきちんと理解できているとは思えませんが、そういう方向じゃないことはわかります。僕が思うに、いじめる当人たちにいじめてやろうというモチベーションは無いと思います。何かしらの流れがあって、その惰性により悪化して表面化してくるのがいじめというものじゃないかと思うのです。だから、その流れを常に意識していくことが大切ですし、そこを理解しない限りは、守った所で守りきれるものではないでしょう。


一部引用:
——学校は、校則に反社会的行為の禁止を明確に示し、いじめている子供には校則違反として厳しく対処
いじめている子供や暴力を振るう子供には厳しく対処、その行為の愚かさを認識させる→出席停止制度を活用し、立ち直りも支援
——学校は、指導や懲戒にもかかわらず、反社会的行動をとる子供に対しては、個別指導や別室での教育などを行う。その際、社会奉仕等の体験活動を採り入れることも考えられる
暴力など反社会的行動を繰り返す子供に対する毅然(きぜん)たる指導、静かに学習できる環境の構築

僕の意見:
いじめと喧嘩の違いはどう解釈されているのでしょうね。校則違反だという決まりをつくっても、そのことが火種になることは容易に想像できます。反社会的行動をとる子供と思っているのなら、その社会とは何か、社会的行動とは何かを、みんなが同じ時間を共有する中で共通の理解として持って行く方が健全だと思います。そのためにできるを具体的には書けませんが、校則違反だという決まりをつくるのではないと思えます。
まあ、飲酒運転と同様に、ある点において罰則を強化することは良いかもしれませんね。もし決まりをつくるのであれば、いじめる側を罰する規則ではなく、そこに関わったことのある者全てを対象とするべきかもしれません。ちょっと極端かもしれませんけど・・・苦笑


一部引用:
【3】すべての子供に規範を教え、社会人としての基本を徹底する
社会人として最低限必要な決まりをきちんと教える→学習指導要領に基づく「道徳の時間」の確保と充実、高校での奉仕活動の必修化、大学の9月入学の普及促進

僕の意見:
社会人として最低限必要な決まりをきちんと教えるとありますが、現状の複雑な社会においての、僕らが子供の頃にしたことのないような複雑な思考をする子供たちに、ある一面を取り上げて社会だと示し、みんながこうして幸せにしていると説いた所で、果たしてどの程度理解されるか疑問を感じます。とはいえ、やらないよりは良いと思います。ここで必要なのは、どのように理解される可能性があるのかを一生懸命考えておいた方がよいでしょうね。


一部引用:
父母を愛し、兄弟姉妹を愛し、友を愛そう→体験活動の充実
——30人31脚など集団スポーツ活動、ロボット・コンテストなどのグループで取り組む学習活動などを通じて心身を鍛え、達成感を共有させる▽古典や偉人伝などの読書、民話や神話、茶道・武道などを通じて、徳目や礼儀作法、形式美を身に付けさせる

僕の意見:
こういうのは良いですね。積極的にやると良いんじゃないでしょうか。ただ、パターン化してしまうのが公的機関の悪い所だと思っているので、何をするとどうなるのかは現場を含めた管理陣は常に意識した方が良さそうです。


一部引用:
【4】あらゆる手だてを総動員し、魅力的で尊敬できる先生を育てる
社会の多様な分野から優れた人材を積極的かつ大量に採用する

僕の意見:
上の方でも少し書きましたが、先生というものに対する子供の認識は変わっていると感じます。そして、魅力的で尊敬できる”先生”は育てることはできないんじゃないかと思っています。先生というものがどうあるべきか、何なのか、についてもうちょっと深く考えてほしいと思います。
もしかすると、先生と対になるような立場の役割を持った人が必要なのかもしれません。今までは先生対生徒であった関係が、今は個人対個人になっていることがポイントなのだと思っています。このままの状態が現状の問題を生んでいるとするなら、個人対個人を”何か”対個人にするしかないのかもなぁとふと思いました。
あと、この提示にある「あらゆる手だてを総動員」という言葉。本当にこの文章の表現はいかがなものかと、悲しくなってきました・・・。


一部引用:
——教育委員会は、社会人経験者も積極的に採用
頑張っている教員を徹底的に支援し、頑張る教員をすべての子供の前に→メリハリのある給与体系で差をつける、昇進面での優遇、優秀教員の表彰
不適格教員は教壇に立たせない。教員養成・採用・研修・評価・分限の一体的改革

僕の意見:
ここまでくると、もうまるっきり企業ですね。メリハリのある給与体系の中で、夢中になってお金を追いかけながら競争する先生たちをみて、何を感じてほしいのでしょうか。不要だとは言いませんが、表に出さないことが大切でしょう。


一部引用:
——教員の評価を校長や教育委員会が行う際に、保護者、学校評議員、児童・生徒からの意見も反映させる▽新卒教員についても、1年間の条件付き採用期間終了時に、資質や適格性を厳格に判断する仕組みを導入
真に意味のある教員免許更新制の導入
——教育職員免許法等を改正し、教員免許更新制を導入。その際、実績や外部評価も勘案しつつ、講習の修了認定を厳格に行う▽指導力不足と認定されている教員は研修を優先的に行い、改善が図られない場合、分限処分を有効活用し、免許状を取り上げる

僕の意見:
こういう見直すための制度は必要でしょうね。っていうか、今まで無かったんですかね。まあ、そうか。


一部引用:
【5】保護者や地域の信頼に真に応える学校にする
学校を真に開かれたものにし、保護者、地域に説明責任を果たす

僕の意見:
もしかすると、閉ざした方が良い面もあるんじゃないでしょうか。その辺りは検討しているんですかね・・・。


一部引用:
【6】教育委員会の在り方そのものを抜本的に問い直す
教育委員会の問題解決能力が問われている。教育委員会は、地域の教育に全責任を負う機関として、その役割を認識し、透明度を高め、説明責任を果たしつつ、住民や議会による検証を受ける
——教育委員の計画的な研修を実施
教育委員会は、いじめ、校内暴力など学校の問題発生に正面から向き合い、危機管理チームを設け、迅速に対応する
——いじめを放置、助長、加担した教員に対しては、減給などの目に見える措置を講じ、公表

僕の意見:
この文章の中には、色んなことに対して罰則を強化する方向がたくさん書いてありますが、「減給などの目に見える措置を講じ、公表」することで世間を煽ることになるんじゃないかと心配してしまいます・・・。これを読んでいると、学校内での教員を持ち上げたいのか、弱者にしたいのか、わからなくなります。


一部引用:
【7】「社会総がかり」で子供の教育にあたる
家庭の対応——家庭は教育の原点。保護者が率先し、子供にしっかりしつけをする→「家庭の日」を利用しての多世代交流、食育の推進、子育て支援窓口の整備
——早寝早起き朝ごはん運動の推進などを通じて、生活習慣の改善に努める。家庭学習の習慣をつけるよう各家庭でも努力

僕の意見:
こういうのは良いかもしれませんね。でも、いわゆる家庭というものに対してだけやっても駄目だと思います。みんなでやらないと。


一部引用:
——企業の経営トップは「ワークライフバランス」を経営上の基本方針の一つとして位置づけ、育児・教育に活用できる有給休暇制度などの諸制度の改善・充実を図る

僕の意見:
言いたい気持ちはわからなくもないのですが、「君は妻も子供もいないから残業よろしくね」と言わせたいのでしょうか。社会における企業の問題は、山積みだと思います。そんな状態の所に、子供の教育という立派な名目を用意して従わせることは止めた方が良いように感じるのですが・・・。


一部引用:
社会全体の対応——有害情報から子供を守る
——テレビの視聴、インターネット利用などについてのルール作りやフィルタリングの活用などにより家庭自身でチェックする

僕の意見:
この問題は大切です。まあ、有害情報から子供を守るとはちょっと違うと思いますが。真剣に考えることができるのは公的機関だけだと思うので、がんばってほしい所です。


と、だらだらと色々書いてしまいました。それぞれに対して文句があるとか、間違っているというような雰囲気の記述を書いてありますが、実は細かいことはどうでも良くて、ただただ、この文章は酷いと思ったので、勢いに任せて色々書きました。

原文はこちら。
首相官邸ホームページ > 会議等一覧 > 教育再生会議 > 教育再生会議 第1次報告について

最近見たインターネットの善し悪し / Good and Bad in the Internet Now

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最近見たインターネットの善し悪し。

■善し
僕は知らなかったんですが、「東京ビデオフェスティバル2007 | 世界最大のビデオコンテスト」というのがありまして、100作品も載っているので全部は見ていません。というか、かいつまんで見たんですがあまり見る気がしないものが多くて・・・。で、でも、たまたまですが、その中で良い作品を見ました。

漢字テストのふしぎ(長野県梓川高等学校 放送部)

こういう視点は大切です。先生のほとんどの返答がふがいなくて、ちょっとアレですが・・・。ちなみに、ラストがかなり気になります。落ちが・・・。おいっ!って感じです。(早送りもできるので、見るとわからないとわかります。)
先生たちも、もっと強く言えば良いのに。まあ、今のご時世だと、先生は人間じゃないみたいな扱いですから難しいんでしょうけど。怒っちゃ駄目だし、生徒の心を完全に見抜かなくては駄目だし・・・。世の中って怖いですね。
直接の関係はないですが、僕はその昔、漢字やひらがなにトメやハネがあるのを思って、何かルールがあるんじゃないかと考え始めようとしたことがありました。ですが、まだ考え始めてもいません。

■悪し
Yahoo!を久々に偉いと思いました。

Yahoo! JAPAN - セキュリティ対策特集2006 親子で備えるセキュリティ対策(掲載期間:2007年1月31日まで)

この内容、酷いし怖い。ただし、事例を並べただけというのが残念です。これだけを見ると、なってからこの事例のどれかだと気がつくか、この事例っぽいものを警戒する以外に手段がないように感じる人もいるんじゃないかと思いました。全部を防ぐのは難しいですが、普通にこうならない方法もいくつかはあるだろうと思うわけです。まあ、前にも書いた通りとっても難しそうですが・・・。

謹賀新年 / A Happy New Year

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あけましておめでとうございます。
昨年は色々な方にお世話になりました。
本年もよろしくお願いします。

で、今、岡山に帰省しているのですが、父が僕の昔書いた絵を見つけてくれていました。この絵は僕が小学1年生のときに描いたものです。真ん中のでっかいのは僕です。僕は小さい頃のことをあんまり覚えていないのですが、この絵を描いているときの感覚は何となく覚えていて、左手の肘の四角と、右腕のつけねの歪みは描きながら妙な感覚だったのを覚えています。今回20年ぶりぐらいにこの絵を見て、口があまりにも怖い絵だなと思いました(笑)
当時この作品は、歯医者に貼ってもらうカレンダーとして採用されていました。副賞はなぜか目覚まし時計。目を覚ませってことでしょうか。そうじゃないか(笑)。まあ、何だか僕はカレンダーに縁があるようです。

あと、一つご報告。
馬喰横山でアトリエを借りていましたが、解約して自宅のみで作業することにしました。