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SHIFT | 2007 CALENDAR COMPETITION

shift_2007_2_web.jpg

まず自分の感じる気持ち良さにしたがって丸っぽいものをひとつ描きました。
そのまま気持ち良さに従い、気持ちの良い大きさや形を、気持ちの良い距離感で、
全体としての気持ち良さを感じながら次々と描きました。
そして、気持ちの良い始まりを忘れないよう、最後に印を付けました。
 
この気持ち良さは人生の至る所にあります。
僕はそれを感じられるよう生きている気がします。

ここで少し大きく観る事ができます


なんとも嬉しいことに、シフトが毎年やっているカレンダーコンペの2007年版に、僕の作品が選ばれました!

A4のカレンダーのひと月分が僕の作品になります。あと、A0のポスターにもなります。世界にディストリビュートされるそうなので、何か変に緊張です。10月の終わり頃から販売がはじまるそうです。12月には札幌のSOSOで1ヶ月間ほど展示もされるらしいので、これは是非見に行こうと思っています。

そして、さらに嬉しいことに、カレンダーでは表紙に選ばれました。もう言うこと無いです。選んで頂いて感謝です。恐縮です。
おかげで、僕の知り合いは店頭でこのポスターを探しやすくなったことと思います(笑)。

印刷はPRINT'EM。販売もここでやっています。もちろん、ここ以外でも売っていると思います。

せっかくなので、この作品について、ちょっと僕の心境を補足しておきます。
これは僕の根源的な部分を含んだ作品なので、 人に観てもらえる(観られる?)ことは、 怖くもあり面白くもありなものです。応募のときも最後まで出そうか出すまいか悩んでいました。今回、何らかの形で誰かの目に止まって、 そこからまた多くの人に観てもらえることは、 僕自身にとって、とても大きな意味があるような気がします。 こんなことは今までなかったですし。

色んな価値観が"値"として存在している今の世の中では、僕も含めみんなはその価値観を基準に行動をしていることが多いと思うんです。かといって、全ての行動の基準を"値"として明示できるのかと言うと、決してそんなことはなく、日常の至る所に説明のつかない"何か"が存在して、人間は生きていると思います。
ただ、今の世の中ではすこし"値"が重視され、"何か"は軽視されている感じを受ける機会が多い気がします。目に見える"値"を信じるのは当然だと思うのですが、"値"も"何か"も、僕らが生きていくためには必要なものだと僕は考えています。今回の僕の作品には僕の感じる"何か"がたくさん存在しています。この作品を通して、その"何か"を感じてもらえればそんな嬉しいことはないですし、"何か"があるのかどうかを考えるきっかけにでもなってもらえれば嬉しいなと思います。


最後に、クリエイティビティということについて最近思うことを少し書いてみます。下に書いてあることについて、僕は咀嚼し切れていませんし、僕がどんな状態なのかも明確にはわかっていません。でも、何となく感じるところがあるのですが、みなさん、どう思いますか?

今、僕はものをつくることに関わって生きています。僕は大学生の時、建築を学ぶ中でものをつくるときはコンセプトが大切なことだと知りました。コンセプトの大切さは、これからも僕の中では変わらないのだと思います。ただ、コンセプトの中にも前述の"値"と"何か"が存在していると思うのです。そして、社会全体が"値"を重視している流れは確実にものをつくる人たちにも影響している気がするのです。

"値"もしくは"何か"のどちらかに寄ってしまったものづくりの中に、クリエイティビティはあるのでしょうか。よくアーティストとデザイナーの違いなんて話がでてきますが、その話の中では、アーティストは"何か"を重視し、デザイナーは"値"を重視しているという定義で世の中を成り立たせているように聞こえます。そして、そんなアーティストorデザイナー論の中では、一方は一方を「自分とは違う。何て面白くないやつらだ。」と言っているように聞こえたりもします。宗教間の争いにも似ているような気がしますが、どちらもクリエイティブでありたいと思っているはずです。しかしクリエイティビティとは、どちらも踏まえた上でこそ発生するものなんじゃないかと僕は思います。

僕は"値"でも"何か"でも、踏まえることは捨てたくはないと思っています。何故捨てたくないかというと、どちらかを踏まえること無く捨てた時点で、僕はそのものづくりの経過も結果も愛せなくなる気がするのです。愛せるかどうかは非常に直感的かつ私的な観点なので、こうなれば愛せると明確に示せることでは無いのですが、つくった上で、またはつくる過程でそれを愛せないなんて話を想像すると、そこにクリエイティビティがあるはずもないとは思えてしまいます。もちろん愛すればクリエイティビティがあるわけではないのですが、今の世の中には愛されていないものがたくさんあるように感じます。僕はそこに問題を感じていて、アーティストかデザイナーかという比較は、比較すること自体が必要のないことで(もちろん名乗るのは、自分で決めちゃえば良い)、そんなことよりも、クリエイティビティがあるかどうか、愛せるかどうかについて考えていくことの方がもっと大切なことに感じます。


上の話は、クリエイティビティって言葉自体の意味が難しいところですよね・・・。
まあとにかく、作品について、もしくはクリエイティビティについての感想などありましたら、コメントでもメールでも構いませんので、頂けると幸いです。

shift_2007_2_web.jpg

Firstly, I drew a circle as I felt good.
I let the good feeling just run like water, and drew circles one right after the other
in various good shapes and sizes keeping good distance from each other.
Finally, I put a mark to remember the beginning of this good feeling.
 
There are many feeling-good moments in my life.
I try not to miss such moments.

* The sentence above was translated by Michiko Hanawa.

CLICK TO SEE MORE


This work was chosen in "SHIFT | 2007 CALENDAR COMPETITION"! I am very glad!

One month of the calendar of A4 becomes my work. It becomes the poster of A0. It is a tension because it seems to be Distoributed to the world. Sales seem to start from about the end in October. Because the exhibition seems to be done for about one month with SOSO of Sapporo in December, it is thought that this goes to see by all means.

In addition, it was chosen as the cover in the calendar. I am so glad. There is not saying already. I wish to express my gratitude for choosing. It is grateful. My friend might have become easy to look for this calendar it by the favor.

The print is PRINT'EM. It sells it here. Of course, I think that it sells it excluding here.

My frame of mind of this work is supplemented for a moment because it is special.
It is scary and interesting for me that someone can see because this is a work that contains my root part. When applying, I was worried about whether put out to the last minute or did not put it out. This time, a lot of people's being able to see there again by stopping in some shape in someone's eyes thinks that there is a very big meaning for me. There were no these kind of things up to now.

In the current world where various sense of values exists as "Value", everyone including me might often be acting based on the sense of values. However, the standard of all actions cannot be specified for "Value", and I think that man is alive in that of "Something" not explicable because I exist in all places of daily life.
However, it is felt that "Value" is valued in the current world, and "Something" is disregarded. I think that "Value" and "Something" are the necessary one for us to live though it thinks the belief in visible "Value" to be natural. "Something" that I feel exists a lot in my this work. If the "Something" can be felt through this work, I am very glad, and I do not think be to glad if it is possible to become a chance to think whether there is "Something".


Finally, it is written to think of creativity recently a little. I chew writing below, and it doesn't cut, and I also understand whether I am no state clearly. However, it is writing feeling it somehow. What does everybody think?

I am related to making the one and alive now. When the one is made, the concept is very important. When I was a university student, I learnt this while learning construction. The importance of the concept will not change in me in the future. However, I think that above-mentioned "Value" and "Something" exist also in the concept. And, I think that it influences the people from whom the flow that the entire society values "Value" surely makes the one.

In the one-making done without basing either of "Value" or "Something", is there creativity?
I often hear the story of artist and designer's differences. I feel that the world is composed of the definition that the artist bases only "Something" in the story, and the designer is basing only "Value". And, one side : on the other hand in "Artist or designer theory". 「They are different from me. What an not interesting guys they are!」I feel that it says. Both must be creative though this is in the state that looks like the fight between the religions. However, I think that creativity is the generated one only after both are based.

I think that I do not want to throw away basing of "Value" and "Something". When I do not base either and it throws it away, I will not be able to love result of passage of the one-making. Whether it loves is a very intuitive, private viewpoint. Therefore, it cannot be clearly shown that this is loved if it does so. However, I do not think that there might be creativity there with I cannot love them by the result of making or the process of making it. I feel that there are a lot of things not loved in the current world though creativity is not generated whenever loving of course. I feel the problem there. The comparison of artist or designer is that there is no necessity. Whether there is creativity or not?Whether it loves or or not?I think that thinking about this two is more important.


Please give the comment and mail to me when there are an impression of creativity of the work etc.If the opinion can be exchanged, I am very glad.

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コメント

まず作品について 第一印象「なんだこれ?」 しばらくして「かわいいー」 だんだん「気持ちいい」 に変化して行った気がします。見るたびに好き度はアップしています。「見心地がいい」とでもいうのでしょうか。

全然関係ないかもしれませんが、ことばの定義や細かなニュアンスを共有するのはとても難しい事だなぁとよこやまくんの文章を読むといつも思います。「値」がそもそも何かわからない・・・。「お金」って事ですか?

言葉がなければ世界は存在しない訳で、使わなければ生きていけないし、思考することも出来ないわけですが、「何か」を言葉で相手に伝えようとする事はきっと「何か」を形にするのと同じ位大変なことなんじゃないかと思います。

デザイナーとアーティストに関しては別に書きましたがやっぱり「コンセプトがどこから派生しているのか」という意味で違う気がします。作り手のスタンスは同じであるべきだとは思いますが、愛情の度合いは違ってしまうような気がします。 私が店を作る時、関わった人がみな自分の作品として愛着をもってくれたらいいなと思っていました。でもなかなかうまくもいかない。 それは先に言ったように言葉で伝えるコンセプトをうまく私が伝えきれなかったり、まとめきれなかったりしていたからだと思うんだけれど。 これはおそらく全てのプロジェクトにおいても言えるだろうことで、限られた時間の中で報酬があることを前提に「言葉で共有しきれない」相手の望む物を作る事が、愛情を込めて作る事を阻害し、それが出来上がるものや作るスタンスの違いを生むのではないでしょうか。

と言っても、私はデザイナーでもアーティストでもなく、何も作れないので、あくまで外から見た意見です。作っている人の思いは分りません。 ついでに言うと、もし「自称アーティスト」だったらきっとデザインをお願いしようとは思わなかった気がします。

書かれている事に対応しているのかもあやしいし、この文章も伝わりきれないんだろうなぁと思います。 なんとなく、横文字の使い方、定義があいまいな気がしました。 「クリエイティビティ」とか全然意味が理解できませーん。

「ま~た難しいこと言ってるなぁ。」と思いつつ、声に出して読んでみたら意外とすんなり言葉が理解できました。 恐るべし音読の力よ。

何か気のきいたコメントをと思ったんだけど、思いを言葉にするのは難しいね。

『値』と『何か』については、ファッションショーでモデルさんが着ている服を普通の人が街中に着て出られるか、っていうことに似てると直感的に思ったんだけど、どうでしょう? つまり、「何か」にこだわり過ぎると実用性や現実性がなくなるってことかな。 貧乏人のひがみと言われてしまえばそれまでなんだけど(笑)。

>どめちゃん “値”はお金じゃないよ。僕の思っている”値”は、すでに世の中に存在している、みんなで共有した価値のことで、”何か”はもっと私的なものです。そして”値”の中で生きていると感じている僕たちが、”値”ではないと感じる”何か”って、”値”では言い表せないし、”値”で構成されることもないと思うんだ。 でも、いきなりこれを聞くと、「そんな”何か”なんてものないんじゃないのか?」とも思えるような話なんだけど、もし無いなら僕らは生きていないと僕は思うのよね。どっかでも書いたけど、例えば、 着ようと思った服を決めた時、この曲好きだなぁと思った時、自分が食べる食事の食器の位置を変えた時、そらに浮かぶ雲を好きだと思った時、木の枝のつきかたが素敵だと思った時、ふわっと香る花の匂いに高揚を感じた時、この人とこうしていると何かいいなぁって思った時。こういう、日常的に何かに対して良いなと思う僕らの本能は、何らかの影響を受けることはあるかもしれないけど”値”に依って行動しているわけではないと思うんだ。で、その瞬間の連続が日常なのだと思うのです。 でも、この”何か”ってのは、目には見えない、人にも自分にも良くわからないっていう厄介なもので、そんなものは誰かと事柄を共有するときに不要だと思われがちなんだけど、あらゆる場面で不要と言い切っていて良いものでは無いのは確かだと思う。サービス業風に言うと、お決まりの「いらっしゃいませ」さえオートマチックに言っていれば良いかというとそんなことはないでしょ?やってくるのが客という名前のよくわからないへんなものだったら、それで良いかもしれないけどね(笑) 何でも一緒で、それに対して常にあらゆる角度で考えるか、もしくは全力で本能に従うことでのみ、”何か”をその場に発生させることができる要素があると感じているよ。それらを総称して、”愛する”と僕は呼んでいると思う。まあ、これはそう思いながら、「自分は愛しているな」と思うわけじゃなく、結果を振り返って敢えて言うならそうだって感じのことだけど。

で、仕事という枠の中で考えると、報酬やら期間やら、難しい問題がたくさんあって、自分が愛せる目一杯まで愛すことは難しいよねぇ。 とか言いつつ、それでもその仕事を愛することは、それに関わる人も愛することなんだ。だから、あなたが望むことを含めてその仕事を愛するという愛し方もあるとは思っているし、実際やっているようにも思う。あと、事柄の共有の仕方が、認知することと信じることの二通りあって、認知しかないと思い込んでしまっていると、すぐに破綻しちゃうのは何となく想像ができるね。

クリエイティビティって、簡単に言うと創造性っていう意味。でも表面的に見える、いわゆるユニークさよりも、全体で見て自分が面白いと思えるかどうかって感じ。クリエイティビティって、僕に限って興味があるかどうかだと思うかな。ちなみに、”愛する”にはすでに”クリエイティビティ”も含まれていると思っているよ。でも、逆は無い感じがする。

>おねえちゃん 音読で理解できたなら良かった。

>「何か」にこだわり過ぎると実用性や現実性がなくなるってことかな。 間違ってはいないと思うんだけど、完全にそうではないと思う。 難しいところだけど・・・。

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