マイ・アーキテクト / MY ARCHITECT

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マイ・アーキテクトという映画を観ました。(英語版オフィシャルはこれ。綺麗な写真がダウンロードできます。)
ルイス・カーンという知る人ぞ知る建築家の話で、愛人との間にできた息子が父の考えていたことにたどり着きたくて、没後25年たって父の形跡をたどり、父の姿を探すっていう映画です。

この映画は映画としての全体的な質は微妙で、特別な空気感が強いわけでもなければ、すごくエキサイティングでもないし、すばらしい建築をありのままのすばらしさをもってたくさん紹介するような映画でもないです。(若干、すてきなシーンもありましたが)もはや娯楽ともとれなくないような映画なんですが、映像としての記録という面では本当にすばらしいと思います。存在させたことがすばらしい事だと思います。

僕はこの映画を観て、ルイス・カーンをうらやましいと思いました。やっぱり僕も自分がつくるものすべては愛をもってつくり、愛していたいです。これは、今までにいろんなシチュエーションでものをつくっていく中で気がついていた気持ちです。
僕とルイス・カーンの違いは、きっと彼もわかっていたことだと思うんですが、自分の愛は他人にとっては愛ではない場合があるっていう考えにいきついてもなお彼は自分の愛を純粋に貫き、僕は自分の愛を持ちながら他人とともに生きることも望んだってところだと思います。その結果、他人にとって過剰な、僕の純粋な愛の一部は僕の中では解決され過剰な部分は取り除くように考えている気がします。
(とかって書くと、なんか寂しい人みたいで誤解を受けそうですが、愛の方向や種類はいろいろあってどれが常に一番ってのは決まっていることではないってことだと思います。)
で、そんな風に考えながらもうらやましいと思えたってことは、自分のためにもう少し自分の愛を貫いても良いのかもしれないなとちらっと思いました。とか言いつつ、そんな難しいことの微調整がきちんと利くほど立派な人間じゃないっていう壁があるんですけどね・・・苦笑

あ、あと、フィリップ・ジョンソンさんが出ていました。彼は昨年亡くなってしまったのですが、ガラスをよく使った有名な建築家です。ガラスの家が好きです(というより同じ敷地にあるギャラリーが好きなのかも)。ガラスの家には諸説あるようで、ミース・ファン・デル・ローエファンズワース邸のぱくりだとか、逆だとか・・・。
ガラスのカテドラルは見てみたいなぁ。(教会にもWEBサイトがあるんですね。驚き。しかも、結構な情報量ですね・・・)
フィリップ・ジョンソンさんは僕が学生時代にきちんと知った数少ない建築家の一人です。なので思い入れもあり、会ってみたいなと思っていたのですが、亡くなったという話を聞いて、それなりにショックを受けていました。98歳で亡くなったのですが、97歳まで現役だったそうです。建築家だけに限らないのかもしれないですが、有名な方のバイタリティには驚かされます。


で、最後に。映画を見に行ったのは、渋谷 円山町にあるQ-AXシネマという映画館。ここの椅子はふかふかしてて奇麗だし、座席が広めで良い感じの映画館でした。そういや映画館の椅子って赤い所が多い気がするんですが、なんでなんだろう?興奮?じゃないよなぁ。

加点法・減点法 / Adding point and the bad mark system

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今まで、何度か誰かと話をする機会があったのですが、人生においての加点法・減点法について書いてみます。

いわゆる完璧主義者とそうでもない人は、この点において違うのではと僕は考えます。

完璧主義者は減点法で、持ち点を100点とすると気になるところがあると1点減って100点ではない、ので、駄目っていう考え。一方、そうでもない人は加点法で、持ち点が0点から始まって良いところを見つけると10点プラスしてみたり、局地的に「こりゃすげー」っていうところがあればそれで100点。100点だからOKっていう考え。
前者の考え方は生き方としては過酷で、その減点って運の要素も多分に含んでいるだろうと思えることもしばしば。後者は前者よりは楽ですが、どうもポイントが甘くなる傾向があって、はじめは10点が2つと思っていたのに、最終的にはその2つが50点だとさも不可抗力によりそうであったかのように跳ね上がったりします。

ここでよく見かけるのが、それぞれの性質を持つ両者が一つの事柄に立ち会ったときのことです。まあ、結果に影響するのは主導権がどちら側にあるのかなんですが、どちらがどちらでも、主導権を振りかざして納得せざるを得ない状況にしてしまうか、相手の加点法、もしくは減点法を覆す威力を持った説得力で覆すかのいずれかでしょうね。後者はとても良い結果が待っていることが多いんですけど、前者はそれはもうひどいもので・・・。なので、僕はだれかとぶつかると、それまで自分がどちら側かを改めて考えてみて、ちょっと裏返ってみたりします。そうするだけで、ずいぶんと話が進んだり膨らんだりします。基本的には後者を目指しています。

で、加点法にしろ減点法にしろ、100点とはどこか?という問題が一番重要で、それさえはっきりしていればまだがんばりようもあるのですが、100点が頭に無いまま「そこ減点!」とか「これで満点!」とか言ってちゃ駄目なんだろうなと思います。
まあ、人生的にはその時点で思いつく100点なんて、時間が経って考えてみれば、60点ぐらいしかなくて、なんて浅はかなんだろう・・・と反省してみたりもします。だから、100点を目指すこの考え方自体も破綻しているのかもしれません。難しいところです。

ちなみに僕はどちらかと言いますとどちらとも言えず(ずるいか?(笑))。まあ使い分けていると思います。だいたいの場合、自分の裁量しか存在しないことに対しては減点法で、それ以外は加点法。たまに、途中まで加点法で、途中から減点法なんていう考え方になることもありますし、減点法でやっていたけどラチがあかないと気づき加点法に切り替えてみたりもします。ものを買うときは加点法が多いです。人にものを進めるときは減点法が多いですが、人にとっての100点がわからないので正確には加点法なのかもしれません。

架空請求と販売戦略

架空請求って結局の所は、物凄い数の人に何だかわからないけど「お金を払え」と言い、状況がたまたまマッチしてしまっている人が「まあ、そのぐらいの金額で憂いがなくなるなら・・・」と払ってしまうという、数打ちゃ当たる方式。特に精神的に追い詰まっていたりする人が払ってしまう事になり、どうにもそれは良くない。

が、架空請求っていう話の中では、上に書いた流れは非常に悪いものとされるのだけど、これってそのまま販売戦略や広告でも同じようなことが言えるときがあるような、ないような・・・。

29歳 / Twenty-nine years old

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僕もついに29歳になりました。

10年前には思い描いていなかった人生がここにあり、
20年前には思い描いていなかった人生がここにある。

人生というのはとても難しく、生きるというのはとても面白い。

予測することを僕にとっての最高の思考とするなら、
すぐに終わってしまう事なのかもしれないがもしかすると
僕にとっての人生はもう少し簡単なのかもしれない。

予測することだけでできているのなら、
それは僕にとっての思考ではないと思う。

僕は僕の思う思考を絶対にやめない。

予測だけで片付くような、
そんな少ない道筋の中で僕たちは生きていないと、
心の底からそう思う。

僕はいま、とても生きていたいと思う。
予測の範疇に無い、そんな瞬間をつくり、生きたい。

今、生きていられる環境があることに感謝します。
みなさん、本当にありがとう。

みーんなが、幸せでありますように。

よこやまひろあき