オルファー エリアソン / Olafur Eliasson
今日は品川にある原美術館[Hara Museum of Contemporary Art]に行ってきました。
今、オラファー エリアソンの「影の光」という展示をやっています。
原美術館のWEBサイトはとても素敵で、興味をいだいていたのですがなかなかいけず、ようやく今日行ってきました。
彼は、「光ってこんな風に見えるんだねぇ」っていうのを実験的に行っていて、それをインスタレーションとして表現しているベルリンの人です。今回の展示は本当に素敵でした。室内に浮かぶ虹、単純な動きなのに永遠に続いてしまうとも思える光の輪、3枚の板から現れる4色の光、見るもの全てがモノクロに見える空間、前述の輪が重なることで生まれる機械と生物の間にあるような光と、見所満載で非常に満足です。是非行ってみてください。2006年2月5日までやっています。
特にアクリル関係の人とか、照明関係の人は是非(笑)
で、今になって思い出すのですが、テーマになっている影の光。 日常で考えると光の影というのが普通ですよね。でも、光と影がどちらが先かを考えてみると、光が無ければ影(というか闇ですね)しかありません。後先は関係ないかもしれませんが、影の光っていうのも普通に存在していても良いはずです。実際は影の光っていう言葉は日常にはまずありません。
じゃあ、光の影って何?っていう事に対して、僕は「積み上げられた空間ではなく、取り除かれた空間」というコンセプトでやっていた僕の大学の卒業設計と似たものを感じました。
つまり、成り立ちが逆なんです。具体的に言うと、光を重ねて空間をつくるのではなく、影を削って空間をつくっている。となると、普通に光を操るデザイナーが考えるそれとは違う結果が出てくるのは何となく予想に難くないところです。
じゃあ、成り立ちが逆だとどう違うのか?僕が思うに、後者の削る行為ってそもそもな人間の行為に近いんです。
酔っぱらった勢いでさらに話は広がりますが、人間ってもともとあるものを削って何かをつくり出す動物だったわけです。例えば、家は
洞穴で、服は大きな葉っぱや毛皮に穴をあけたりしてつくったもの。食は未だに変わらない様子がありますが、遺伝子組み換えなんかはちょっとそもそもの人間の行為とは外れていますよね。
ぱっと見、同じ感じがするものであっても、本質が違うのですから両者に対してかなり異なった要素を感じて、純粋に「ああ、気持ちいいな」と思えたりするのも何となく想像できます。
これに関しては、結局、1年間かけて考えた卒業設計でも明確な答えは出ず、未だに考えています。強いて言うなら、人間の行為をいわゆる人工的なものも含め全て自然と捉える事もできますが、より自然に近い行為をしたときにそれが人に与える影響って大きいはずだという感じに考えています。まあ、まだまだ考えていこうと思っています。(どなたか、僕と議論しませんか?(笑))
ちなみに、2006年春にはオラファーエリアソンによるインスタレーションが原美術館の常設として設置される予定だそうです。季節や時間によって変わる光の様子をみせてくれるもので、きっと満月の光とかで見ると綺麗に見えるんだろうなぁと思ったりしています(完全な妄想です)。また、その頃に見にいこうと思います。
