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40年の孤独 /

こんなに、こんなにも、深い悲しみを感じたことは
久しぶりでした。

僕は今まで生きてきて、28年たって。
それでも孤独であることや、死ぬかもしれないということの
圧迫をほとんど受けずに生きてきて。
この孤独と不安は、小さな僕では受け止めることができず
そのときは、今にも泣いてしまいそうでした。
そして今は、泣いてしまいました。

自分が生き、自分が生きたいように生きること。
自分の肉親が生き、自分が肉親と生きたいように生きること。
自分の子供が生き、自分の子供と生きたいように生きること。
自分の知人が生き、自分の知人と生きたいように生きること。

すべてが当たり前で、すべてが可能であるはずで、
でも当たり前に無くなって、自分が思うように生きることすら、
死の恐怖と隣り合うことで、それがそうできない。

今日バス停で出会った一人のおばあちゃんは、
そう歩んできたような人生を話してくれました。

戦争でご両親が。
戦争でお子さんが。
寝ることが死ぬことと同一に。

今は一人で暮らし、習慣は続き、朝方まで眠れずテレビを見て、
3時間寝て、また一日がはじまる。
今日は池袋で食事を食べるんだと言っていました。

おばあちゃんの40年。
40年続く孤独。

おばあちゃんは、僕に日傘をさしてくれたんです。
別れ際に、何度も何度もありがとうって言ってくれたんです。
ニコってしてくれて、また会いましょうねって言ってくれたんです。

こんなにも悲しいことがあるんですね。
こんなにも悲しいことなんですね。
こんなにも深く、こんなにも不自由で。
とにかく悲しくて悲しくて。悲しくて悲しくて。

これが運?これが運命?
これが人生で、これが生きるということ?

抗うことも、流れることも、選ぶことも、決めることも、
全てにおいて余地のない、深い孤独と不安。

それに対することが有効であるとは思わないけど、
僕がここでこうしていられることに対する感覚。
驚きでもあるような、
虚無感でもあるような、
感謝でもあるような、
無力感でもあるような。

この深い悲しみは、
愛なのか、善なのか、
共感なのか、憤りなのか、
哀れみなのか、偽善なのか。

全てはとりとめも無く、
まとめることもできず、
何を考えているかわからない。
これを書いて何を言いたいってこともわからない。
ただ、どこかにむけておきたいと思いました。
この気持ち。

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