パタン テン、終わりました。

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グラフィックパターンの展示「パタン テン」、無事に終わることができました。

(以前の記事ですが、案内と、写真の一部まとめです。)

お越しくださったみなさま、作品を買ってくださったみなさま、本当にありがとうございます。すごくたくさんの方に来て頂き、とっっっっっっっても嬉しく思います。数々の差し入れもありがとうございました。素敵なお花にはじまり、みかんとか、日本酒とか、ワインとか、クッキーとか、おまんじゅうとか、ゆずとか、味噌とか、チョコレートとか、パンとか、ケーキとか、ドーナツとか、頂いてからずっとモグモグ食べています。終わってからも、まだまだハートウォーミングです。ありがとうございます。

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作品購入については、版画47点(内、大きいサイズ3点+1点)も買って頂いて、本当に嬉しい限りです。売り切れた柄もいくつか。お買い上げくださったみなさま、ありがとうございます!!ぜひ飾ってやってください!!(そして写真を送ってやってください!笑)

そして、場所を貸してくださってDM発送や知人への案内、期間中ずっとご協力&ご助言くださいましたtrayのハタノさん、にんじん葉を使ったりした美味しいおつまみをご提供くださったフルタさん、ヴィーガンな美味しいお土産クッキーを焼いてくれた中島さん、丁寧に手書きの宛名書きを手伝ってくれた近藤さん、色んな方に宣伝をしてくださったみなさま、本当に本当にありがとうございました。

正直な話、無反応だったらどうしようか・・・とか、ふーーーーん・・・で?とか言われたらどうしようか・・・とか、ずっと考えていました。でも、またやりなよーって言ってくださる方もいて、カーテンほしいと言ってくださる方もちょこちょこといたりして、あと、パターン使用について興味を持ってくださった方も4組ほどいらっしゃいました。本当に大感謝です。足りないことはたくさんありますが、色々実現できるよう、がんばってやっていきます!次は布にも!がんばります!です!

とりあえずはすぐのことじゃないですが、展示場所、及び協力布屋さんを探そうと思います。もしご興味持って頂けた方は、ぜひご連絡頂けたらと思います。

今年もあと数日で終わります。寒さが厳しい季節になってきましたが、みなさま、体調など崩されないよう、ご自愛ください。今年も大変お世話になりました。来年も、よろしくお願い致します!

良いお年をお迎えください。

morld 横山博昭

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パタン テン ご好評頂いています。

_MG_7150_2.jpg (八尾和紙 富山 maru maru インク)

ご好評頂いておりますパタン テン。お買い上げくださったみなさま、お越しくださったみなさま、誠にありがとうございます。良い感想をたくさん頂いていて、とても嬉しいです!残り2日もがんばります!

20日(火)は12:00〜19:00まで開催していますが、21日(水)は最終日となるため、12:00〜17:00までと早じまいになっておりますので、ご注意ください。

引き続き、よろしくお願い致します!

_MG_7178_2.jpg_MG_7181.jpg (近江雁皮紙 滋賀 ne アクリルガッシュ金)

_MG_7133.jpg (横野和紙 岡山 maru maru アクリルガッシュ白)

_MG_7141.jpg_MG_7146.jpg (大洲和紙 愛媛 左:sansho 右:ne インク)

_MG_7192.jpg (杉原紙 兵庫 hana 朱肉 永吉齋)

_MG_7239_2.jpg_MG_7184_2.jpg (八尾和紙 富山 tuta 朱肉 永吉齋)(杉原紙 兵庫 ne インク)

*おまけ的に、銅版をつくる途中の溶液の写真。表面に何かが浮いて気持ち悪い感じです。苦笑 _MG_6169_2.jpg

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パタン テンで、したいこと。

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ただいま、絶賛準備中のパタン テンですが、だんだん後手後手感が高まりつつ、何としても良い仕上がりを!を目指してがんばっています。

ここらで少し、今回の展示でしたいこと、をまとめました。

日々、色んな人の目に触れるにつれ、パタン テンで何をやりたいのか?ってことをちょこちょこ聞かれています。聞かれたとき、自分の中でぱっと答えが出たのですが、最終的に僕は、柄自体を売る、ということをやりたいと思っています。少し正確な表現をすると、柄の独占使用権を売るという感じですね。

売った柄がどうなるかっていうのは、例えば、お店が買ってくれるなら包装紙になれば良いなと思うし、普通の会社さんが買ってくれるなら、封筒の裏側なんかにあしらってくれるのも良いと思うし、生地屋さんだったらそれで生地をつくって売ってくれれば良いな、という感じで、普通の作品というよりも、アイデンティティみたいなものの一つとして取り入れてもらえたらすごく嬉しい!と思っています。どっかの部族の印とか、戦国時代の旗とか家紋とか、タータンチェックとか、そういうような感じで。(本当のところは、総合的に関われると嬉しいんですが、そういきにくい状況というのも色々あると思うので。)

パターンを使ったポスターなどのグラフィックは、もちろんつくって展示しますしそれがメインなわけですが、そういう気持ちでパタン テンをやりたいなという感じです。

まあ、こういう商売ができるものかはわかりませんが、もし売れることがあるなら、パターンは物自体じゃなくて形状というか技術みたいなものなので放射能関係ないし、外国にも売れやすいのかもと思うと、そういう可能性って良いなぁと思っています。

そんな思惑は持ちつつも、来て頂いた方が面白くないと楽しくないと全然駄目なので、そのへんに重心を置いて、裏っかわでは思惑もまあ何とかできたらな、というのが本音です。

なので、グラフィック的なデザインに携わっている方々にも是非お越しいただきたいのですが、それ以外にも近所の方とか、模様が好き!って方とか、布を作ってる方とか、ファッション関連の方とか、商店をやってる方とか、そういう方々にも是非見て頂けたらと思っています。

何卒、よろしくお願いします!

投稿者 morld.journal : 06:36 | コメント (0) | トラックバック (0)

グラフィックパターンの展示「パタン テン」

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グラフィックパターンの展示
「パタン テン」

16(fri) - 21(wed) December 2011
12 p.m. - 19 p.m.(最終日十七時まで)

morldのはじめての個展をやります。場所は、参宮橋のtrayさん。 いくつかのパターンをつくり、銅のハンコをつくり、ポスターをつくりました。

十八日(日)は終日、「飲んでつまめるデー」になります。 おつまみ担当は、HOME.フルタヨウコさんです。

(十七日(土)も飲んでつまめるデーをやって頂けることになりました!土曜日はフルタさんはいらっしゃらないと思いますが、ぜひ!)

飲み物 all 500yen おつまみ all 300yen

会期中、僕はなるべく在廊予定ですが、メールなどでいるかどうかの確認をして頂けると確実かと思います。

みなさま是非、遊びにいらしてください。

DMについて。

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これから順次発送をしていきます。欲しい方は住所を送って頂ければ送付しますので、メールなどで連絡をください。(info [at] morld.jpまでお願いします!)

また、まとめて置いて頂けるギャラリーさんなどありましたら、まとめて何枚っていう感じで置いて頂ける枚数を言ってくださればと思います。置いてくださるカフェやギャラリー絶賛募集中!

ちなみに今回は新聞紙みたいなインクなので、ぐっとこするとこすれます。身の回りのインクが移ると困るものや大切な書類などの側には置かないでください。僕は責任とれませんです・・・。

よろしくお願いします!

投稿者 morld.journal : 14:25 | コメント (0) | トラックバック (0)

新しい名刺

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事務所移転に伴いまして、名刺が新しくなりました。いつぶりだろう・・・。

今回は、こういう紙なのか?って迷う程度に、うっすらともやもやしたドローイングを印刷してもらっています。

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emyamagchi.com

すっかり載せそびれていたのですが、半年ぐらい前(だったかな)に、スイスと日本で活動している写真家の山口絵美さんのサイトを、カレーを食べたりしながらつくりました。

emyamagchi.com

カレーを食べながらって何だよって感じですが、カレーつくったりサイトつくったりしようって感じで、ラサンテという日本で料理や食品の仕事をやっているスリランカの方を呼んで、現地の作り方で少し辛さを抑え気味なカレーを(ほぼ)つくってもらって食べた、という感じです。手で食べたのですが、とても美味しかったですよ。サイトは、すごい時間をかけて、というよりは、最低限の仕組みをつくった感じです。

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彼女は、日本では東京都現代美術館の「MOTアニュアル2010:装飾」で各作家のドキュメンタリーを撮っていたり、スイスではバーゼルでやってるShift Festivalで写真を撮っていたりしています(Flickrにまとまってます。面白そうな作品がいっぱい)。

あと、コマ送りムービーというのかな、素敵な映像をつくっています。vimeoから。

24 from em yamaguchi on Vimeo.

(色々勝手に載せちゃった。笑 駄目だったらメールください。また日本に帰ってきたらカレーを手で食べましょうー!笑)

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現状について

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少し前に、僕のおばあちゃんが戦争で疎開したときの話を聞いた。

岡山は空襲が来るけーゆーてな、私はな、山の方の実家に(たぶん娘:僕の叔母と一緒に)疎開しとったんじゃあ。そりゃあおそろしかったぁ。怖かったわ。(戦争が)終わってから戻ったけぇど、うちのあったへんまでが焼けてしもうとった。近所の人がどうせられたんかはよぅわからなんだけど、うちのお父さん(僕のおじいちゃん)に後から聞いたんはな、ぎょーさんの人が(避難所みたいなところに)逃げたんじゃけぇど、あんたのお父さんと旭川に逃げとったけぇ、無事だったんじゃーゆうて言いよったんよ。

僕はこれを聞いて、避けられなかった人は多かったんだろうと思った。

この話、空襲怖いよねとか、疎開大変だよねっていう話もあるけど、僕が思ったのはそのことじゃない。空襲があるから疎開したっていうことについて、当時の状況とか生活背景みたいなものを思った上で、疎開した理由が「空襲があるから」ということについて想像をした。

そんな話、誰から言われれば信じられるだろうか。岡山に、っていっても個人から見れば広いものだし、まず最初、うちは違うよねぇって思いそう。どんな情報源でも、今でさえ、起こるまでは本当に信じるのは難しい。でも、運とかじゃなくて、ちゃんと避ける人もいる。この人たちはなにを信じたのかと思いました。

もう少し違う例えをして、戦争がはじまるときや終わるときの想像をしてみる。「戦争が始まりました」とか「戦争は終わりました」って、こういうことを誰から言われれば信じられるだろうか。「戦争がはじまって、そこは危ないから逃げてほしい」と言われて、積み重ねた日常のほとんどを捨てて動けるだろうか。爆弾が降ってくるようなことでさえ、にわかには何かを信じるのはやはり難しい。社会のことのようでいて、自分のことなのだと思います。

社会全体として、様子見の仕方がちょっと変じゃないかなとずっと思っています。僕が言いたいのは、危ないから!ってことじゃなくて(いや、実際危ない確率の方が高いと思うけど)、ちょっと感覚がおかしくなってないだろうかってことは常に考えておかないといけない時期なんじゃないかなってこと。

近頃はあまり聞かない話かもしれないけど、お父さんが単身赴任するのって、まあ割とある話と思います。だからといって、家族が離れちゃうならもう離婚よ!とかってならない。サラリーマンとか企業が中心の社会よりもずっと昔の、出稼ぎだって同じだったんでしょう。

うちの祖父は仲間たちと山の方に仕事で出ていって戻ってこないことが度々あったと母から聞きました。でも、出稼ぎに行くことは家族にとっては必要なことだったんだと思うし、帰ってくることは喜びだったんでしょう。必要なことのために動くのは当然だと思う。

でも今の状態をみると、仕事の都合、つまりお金のことがきっかけだと動けるのに、子の健康が害される可能性がきっかけでは何もできないっていう状態にみえる。僕はどちらも必要なことだと思う。このへんから、これは少しおかしくなってるんじゃないかなって思うのです。

何でそうなってるのかはわかりませんが、そこまで何も起こらない確信がある人って少ないと思うんです。排ガスだって、タバコだって、光化学スモッグだって、農薬だって、黄砂だって、健康には悪影響があるのだし、リスクで言えば、強盗だって、交通事故だって、いじめだって、過労だって、死のきっかけはたくさんあるのだから、今さら放射能ごときではなんてこと無いよ。ってことなのだろうか。

僕の放射能感は、いわゆる公害レベルの事態になるんだろうという感じです。水俣病が当時何か危ないんじゃないかと意識され、県がその地域の漁獲を禁止するまで15年ぐらいかかったという話を読みました。その間、ある特定の魚が捕れなくなったり猫が狂死したりしてたのに15年。認めてもらえないと認められないのはおかしいことでしょう。社会が害を認める5年か10年後には、また社会状況や経済状況もがらっと変わってるのだろうけど、認められないものから身を守るには、補償とか保障とか言ってないで自分が動く以外無いと思う。保障で健康や命は戻ってこないことは明確でしょう。

ただ、お金が無いと暮らしていけないのは身にしみてよくわかる。わかっているけど、家族よりお金の方が大切っていうことを無意識に(もしくは暗黙の割り切りで)受け入れていることになってしまっていないだろうか。様子見っていつまでそのままなのか。こういう状況で様子見するなら、離れてから様子見するのが普通なんじゃないか。きっとこういう風に迷ってる人も多い気がする。そう。これはとても難しいんですよね。人生が変わっちゃう気がしますから。変わっちゃうっていうか制限が大きい感じがするという感じですかね。子のいない僕が言うのはお気楽なもんですが、僕ですらそういう感じがあります。

様子見をしているうちに、本当は安全性がはっきりしてくれば嬉しいのだけど、逆に、危ない確率が上がるような情報はどんどん集まっていると思います。これだけ材料があれば、他のところに住んでいる人が、福島で死ぬまで稼げる仕事があるからといって福島へ引っ越そうかって気持ちになるんだろうか。それは、瓶が地面に埋まってて実は放射線量が局地的に高かったけど健康には害がなかったよね、ってことぐらいでひっくり返るもんじゃないでしょう。悲しいことに、チェルノブイリでは間違いなく問題があったわけです。

大地震から、もう半年以上が経ちました。あの地震以来、原発のことで好転した打開できたことってあるのかなって思うと甚だ疑問です。放射線量は徐々に増えています。いや、増えていますっていうとちょっと言い過ぎになるとしても、まあ間違いなく減ってません。時間が経てばある程度は落ち着く種類のもののはずが、減ってないってことは、未だにあそこから塵となって舞っているということだと思います。現場の人はすごくがんばってるだろうのに。

僕の中での話ですが、以前のバランスに気を取られて、意識というか感覚みたいなものがおいてけぼりになってるような感じが少し。そろそろ落ち着けるはずだし、おいてけぼりにしておくと戻ってこなくなってしまうかもと思う。例えの例えになるけど、丹田に意識がある状態、のような生き方過ごし方というのがある。そういう感じ、僕らはなかなか普段の生活で持てないけど、それは生きていくうえでは大切なことだと思う。大切なのだけど、それがなくとも、今の僕らは致し方なく、歯を食いしばる時期なのだとも思う。制限とか変化ぐらい、我慢できるしどうとでもなる。

僕らの体は基本的に、外側からの刺激には強く、内側からの刺激には弱いものだと思います。おなじ1Svでも内と外だと影響の度合いが違うってこともよく言われていますよね。日常で言えば、こけて傷ができても、外側は再生(というか代謝?)が活発だからまあ平気なわけです。でも、内側がどのぐらい弱いかと思うと、本当に侮れないと思います。アレルギー反応が体の内部に出ると死んじゃうよとかって話もあるし、どっかでは内部被ばくは外部の6倍の影響があるなんて数字も見かけました。

ここのところ、すごい線量の放射性物質が埋まってるっていうニュースをちょくちょく見かけますが、あれ本当のところ何なんでしょうね。あんなにたくさん埋まってて本当に影響がないんならもしかして・・・と思う気持ちはありますが、何か変な感じがしますけどね。害が無いならそりゃ嬉しいですが、無いならチェルノブイリだって平気だったんじゃないのとは思います。その情報が嘘、というか原因が別にあったならわからないですけどね。情報って難しいですね。

病気になるかどうかの想定を、とりあえず数字を追いかけてがんばろうとしている人はたくさんいるんだと思うけど、ちょっと気になったことがある。これは僕の想像というか妄想ですが、自殺しちゃう子がいないと良いなって思いました。

「お父さんお母さんがすんごいがんばってくれて、私もそれに順じ、応じ、がんばってきたけど、それでも私は癌になってしまった。」と、思ってしまった子が、その申し訳なさに、状況次第ではあっさり死んでしまうのではないか、本当は治る病気かもしれないのに。とか。

この状況というのは、家庭の中のこともそうだけど、友達で話していることの中にもきっかけはたくさん隠れてるんじゃないかなって思いました。みんながみんな、行動がどうあれ心配はしてるわけだから。

まあ、割とはっきりしてることは、あそこまで壊れた原発はそう簡単には直らないってこと。壊れた容器を直すってだけを思うと何となくがんばればできそうな感じってありますが、作るだけでもとても大変なあんなでかいものを、水や気体といったすごく細かいものが漏れない精度で、撤去せず壊れた部分を修復する技術なんて現実的ではないと思うけど。特に建築に携わってる人は実感できるはず。雨漏りだって難しいもの。やってもやっても追いつかなかったりもしそう。慌ててしまっていて隠さなきゃっていう考えだと止めようもないことのように思う。

地震以降、ここに書いてる色々な話を読んで、たまに心配をされることがある。まあ、暗いねっていう単なる感想などもあったりして、確かに明るい話題はここのところ少ないけど、僕の考えてることってもともとそんなもんだし、精神が鬱屈して放射能が心配で夜も眠れないなんて事は無いので、そこまで心配しなくても大丈夫ですよ。書けば書くほど説得力ないかもですが、僕はとても元気です。笑

ただ、僕が今、本気で受け止めようとしているのは、今までにないぐらい、自分の考えと自分の生活とその行く先が連動している状況があるってことぐらい。今まで普段考えてきたことって、大体のことは自分の生活にダイレクトな影響が無いことの方が多い。まあ日本がそういう社会になろうとがんばってきたってことだと思うけど。よくわかんないけど、幕府の悪口を言ったから打ち首になるとか、戦時中にあったような命を揺るがす決断なんて、普通はそうたくさん欲しいものじゃない。

でも、ここにきて、放射能のこと、お金のこと、法律のこと、みんなそれぞれが生きる指針のこと、なんでもかんでもが、結構な近距離で動いていて、見過ごして良いことももちろんたくさんあるけど、視界に入ってこれだと思えばばしっと押さえないと自分の生きていく指針が定まってこない、ぐらいの状況がいきなり始まったって感じがします。なんとなくですが。

上の写真は、少し前に行った今治の漁港にあった生活の道具。市場が終わってからは、おばあちゃんたちがこの荷車を押して魚を売り歩いている。荷車の上がまな板みたいになっていて(荷車の右側に乗っている板がそれ)、売れた魚はそこでおろされてたりしているみたいで、魚の内臓と血まみれの包丁を乗せたまま、おばあちゃんが押して歩いていた。今治もまた、独特の進み方をしているなと思いました。

投稿者 morld.journal : 23:30 | コメント (0) | トラックバック (0)

事務所移転のお知らせ と お仕事募集(岡山近辺でも!)

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突然なのですが、一つお知らせがあります。

東日本橋の柳橋日和にありました事務所なのですが、今月で新宿区に移転を致します。

新住所 〒162-0054 東京都新宿区河田町10-15 #102

tel fax 03 6380 6460

築50年の古い木造アパートで、正直に書くといわゆる綺麗な物件ではありません(大家さんごめんなさい・・・)が、古いながらも丁寧に扱われてきたのだなぁと思える、味のある物件です。これを設計された方の息子さんが今でも手入れにやってくるような。大きな木製のサッシにすりガラスの窓が特徴的です。すりガラスに差し込む日というのは綺麗なものなんだなぁと毎日しみじみと実感しています。まあ、木サッシなので冬は寒いんですけどね。笑

最寄り駅は大江戸線の若松河田駅。その他に東西線早稲田駅、副都心線東新宿駅、都営新宿線曙橋駅なども徒歩圏内です。お近くをお通りの際は、是非お立ち寄りください。

また、これからの僕の仕事の方針なのですが、今回の事務所移転で月々の支出を少しだけ減らしました。この減らした分を使って(一往復分ぐらい・・・これだけじゃ足りない気もしますが。苦笑)、今まで通りの東京や松本のお仕事に加え、岡山近辺のお仕事もやっていきたいと考えています。そちら方面で、何か僕がお役に立てそうなことがありましたら、ぜひお声掛け頂きたく思います。お気軽にご相談ください。

今後とも、よろしくお願い致します!

 

*あ。あとjournal.morldにこっそりWEBフォントを導入してみました。小林章さんが監修(というのかな)されたLinotype社のフォントMediaeval OfficeとNeuzeit Officeです(ダウンロード版もあって、なんと今なら無料!)。それぞれ単体で使うなら良い感じです。が、本文とかの混合で使うときに欧文フォントのサイズだけを変更できるようなjsないのかな・・・。どなたかご存知でしたら教えてください!

投稿者 morld.journal : 15:57 | コメント (0) | トラックバック (0)

NARUP Hair Salon & Nail Salon

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松本駅の近くにある、ヘアーサロンNARUPさんのロゴと看板&ブースサインをつくらせて頂きました。

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はじめに、ネイルサロンのブースサインをつくったところ、ご好評をいただき、そのままヘアーサロンのものをつくりました。それをそのままロゴとして採用して頂けることに。ロゴタイプは以前につくった笑顔付きのもの。

ネイルサロンブースのサインのすぐ下の小さな棚には、ネイルで使う色とりどりの小さな瓶が並びます。

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設計はみゆきの坂 風上がりクリニックさんと同様に冨川浩史建築設計事務所さん。このサイン、カッティングシートでつくってもらいましたが、精度が命だったので、業者さんにはご苦労をおかけしたかと思います。でも、とても綺麗な仕上がりにして頂けました!みなさま、ありがとうございました!

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みゆきの坂 風上がりクリニック

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以前、記事にしましたロゴと名刺をつくらせて頂いた「みゆきの坂 風上がりクリニック」さんが松本駅近くで開業されるということで、診察券と看板をつくらせて頂きました。(診察券の写真を撮り忘れた・・・)

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看板はステンレスに特殊な塗装をし、エッチングをしてもらっています。内装設計は冨川浩史建築設計事務所さん。久々の(というか、お願いするのは初めての)エッチングで少し緊張しました。笑 ありがとうございました!

投稿者 morld.journal : 15:31 | コメント (0) | トラックバック (0)

食べるについて

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今までも食にまつわることは色々書いたのだけど、もう少し膨らませていきたいので、気になることをまとめてみました。写真は最近の僕のごはん。このページでもう少し大きく見られます。

灰汁について。灰汁ってとるもんだとずっと思ってましたが、ここ最近の自炊生活で、灰汁って美味しいなと思うようになりました。普通に食べると駄目です。えぐい。なのですが、1日2日とおいておくと、そのえぐみがじんわりしてきて、すごく良い。全部の食材の灰汁が美味しいかはわかりません(ものによっては毒があるとも言われてるみたい)が、ごぼうの灰汁は美味しいです。きんぴらとかお味噌汁とか。火を通したばかりの、できたてじゃなくて、ぜひ試してみてほしいです(特にお味噌汁のできたては、美味しくないので要注意)。まあ、僕の好みが偏ってるっていう可能性は多いにあるので、ちっとも美味しくないじゃないか!って人もいるかもしれませんが、怒らないでください。

あと、友達に教えてもらった重ね煮というのが手軽で良かったです。食材の陰と陽を意識した養生料理だそうです。陰とか陽とかってなんだよって思う方もいると思いますが、なんかそういう印象とは違って意外にも、理にかなってる感じがします。僕はしばらく試してみようと思っている感じです。

乾燥とか発酵とか焙煎とかのわりと原始的な加工の工夫と、砂糖とかお塩とか油とかを使う調理的な工夫以上に保存が利くやり方はとりあえずいらないんじゃないか?それを真ん中にするだけで、仕組みは大きな変化を求められ、ずいぶんシェイプされると思う。するだけって言っても、すごく大変なんだろうけど。

でも、コンビニの流れそのままで、流れるもの(物も仕事も)をがらっと変えて、結果として手で作るものを売るようなやり方に変えられるとすごいことになると思うんだけどなぁ。

化学調味料の話をすると、気にしている人にとってはタバコの話に近いような印象を抱く人がいる。僕は化学調味料って好きじゃないけど、すごい嫌だとも思わない。あの手軽さはすごいと思うし、アジア諸国を中心に大人気らしい。そんな化学調味料なのだけど、最近きついお店がすごく増えた気がする。僕が変わっただけなのかなぁ。ここのところ、自炊をはじめたのはそれもある。ちょっと敬遠気味な店が多くなってきて、お昼食べに外にでても、外食できるものの中から食べたいものが浮かばない。食べたい味や味付け、具体的な野菜なんかは思い浮かぶのに。だから思い浮かんだ味から追っかけて、食べに行くのと同じぐらいの時間でつくれるものを、身近な素材で作ってるって感じ。

化学調味料のことをもう少しどんな感じか書いておく。1〜2年ぐらい前からかな。きついとこで食べると、あの痛いというかえぐいというかウヤウヤした感じが1〜2日つづく。軽くても昼食べて夜寝るときまで続く感じ。コンビニのおにぎりは口に含むと、もちろん我慢できる程度だけど、ちょっとだけ吐き出したい感じがある。これは随分前からあったが、前はそうじゃないのも多かったし、外のおにぎりはそういうもんなんだろうぐらいに思っていた。あの匂い、なんなんだろう。

まあ、何でもそうなんだけど、例えば「これがオレンジのジュースよ」と言われ飲んだ飲み物の味は、オレンジのジュースとして覚えることになる。でもオレンジの味と、大体のオレンジジュースの味は明確に違う。テレビの中の人と現実の人がどちらも人だけど、前者は人が映っているだけで厳密には人ではないということと同様に。

覚えることと、実際に感じることの差をはじめから無いものとして付き合ってると、本当にわからなくなってしまう。みんながみんなこういう種類の認識の仕方をどこかではしていて、気がついているものの気にしないとか、そもそも気がついていないとか、色んな状況を生んでいる。例えば、木調と木とか、陶器と樹脂とか、スピーカーからの音と本当の楽器の音とか、マイクの声と人の声とか。人と話すのにはこの差を厳密にしないってのはすごく有用な(というか、厳密にすると話にならない)のだけど、そこを自分の中でも埋めちゃうことに対しては意識を持っていたいなと思う。

そんなこんなで、化学調味料の入っているものは絶対食べないぞ!なんてのは無理だと思うし、わりとおおざっぱな僕は少なければたぶん気にしない、というかたぶん気づかない。そのぐらいの範囲で使っていけば良いんじゃない?って思うかな。まあ自分では理由が無い限りは、使わないようにしようと思ってるけど。わざわざ選ぶものじゃないとは思う。

ビタミン剤とかの薬というかサプリメント、僕はあまり良くないと思っている。もともと薬に頼ることが好きじゃないというか、自分の体調を復調路線に乗せる為のきっかけぐらいの使い方しかしないようにしている。日頃飲む薬も、科学的なものよりは丸薬みたいな昔からある薬とか漢方っぽいものを飲んでいる。僕と薬がそのぐらいの距離感なのもあるけど、色んな本を読んだり話を聞いたりしていて、やっぱりそうだよなと思ったことがある。

例えばビタミンEが肌荒れに利くっていう効能があるとする。ビタミンEを摂取すると肌の状態が良くなるってことだけど、普通の流れでいうと、かぼちゃを調理し食べると、消化をしその過程で必要な栄養素を吸収し、排泄する。この流れの中には大切なことがたくさん入っているけど、ここでは「ビタミンEが肌荒れに利く」っていうことと比べられるようなところだけを取り出して考えてみる。

簡単に言うと、必要な栄養素を吸収する、というところがそのあたりに該当すると思うけど、このときの吸収っていうのは、ただひょいと取り出しているような行為じゃない。僕は詳しく知らないけど、口・食道・胃・小腸・大腸と食べた物を通す中で、消化液とか菌とか運動とかまあなんやかんやが、食べ物を変化させながら分解しより分け吸収したりしている。

この一連の流れにこそ、肌が良くなるっていう結果を生んでいる現象が含まれているのだと思う。もし単なるビタミンEで単なる肌荒れが治るんなら、もっと効果が出ててもおかしくない。全体の結果としてみれば、利かないとは言わないがまあ利かないようなもんだわなっていう程度だと思う。(僕はビタミン剤みたいなものは風邪薬とセットで飲んだりするぐらいで、そんなに飲んだことがあまり無いから、実感はほとんどないのだけど)

利くときもあるだろうし、そもそも好きずきもある。この話、このぐらいで終わるなら良いのだけど、食べることをせずビタミンEを摂取することをやっているとどうなるのだろうか、につっこんで考えてみる。割と簡単な話だけど、やってないとやれなくなるっていうことだろうと思う。食べた物が排泄できなくなる、なんてことがあるとは思わないけど、あるものが分解できなくなるとか、あるものが吸収できなくなるとか、そういうことは想像に難くない。例えて良いか微妙だけど、自然界の食物連鎖みたいなものを思い浮かべれば、流れが途切れると失われていくものがあり、それはもうものすごい年月をかけてぐるーーーーーーっと一周して戻ってくるぐらいのことなのだと思う。怖いと思うけどな。ポリポリとサプリメントを食べるのって。

以前、食への興味からつながって、辰巳芳子さんの「食の位置づけ」という本を読みました。そこから色々思った、人間の尊厳食育祈り、なんかを書いたのをすこし前に思い出した。食べることってすごいけど、楽しい食であれば良いっていう状況ではないのかもしれません。論っていうほど大げさなものじゃないですが、過食論っていうのも 書きました。こういう話は未だにありえるというか考えないとかもなと思う。

ちなみに、食と関係ないけど、僕は地震以来、祈りっぱなしです(お祈りしてるわけではないです。たまに弱まる)。抜き差しならぬ状況では、例えたり、比べたりしている場合ではないのかもしれないとも思う。

投稿者 morld.journal : 05:33 | コメント (0) | トラックバック (0)

生きていくについて

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この頃、時間ができるとよく考えるのは、これからの生きていくについて。まあ、いつものぼんやりとしたアレです。2ヶ月分ぐらい。

ここのとこ、お手軽料理をちょいちょい作って食べてるのだけど、ニンニクと胡椒は使わない方向でやってる。これなかなか良いです。大学生時代につくってたころは入れるのが当たり前ってなってたけど、んなこたない。自炊されてる方にオススメしたいす。入ってても食べられるし美味しいものもあるけど、無くて美味しいものも日本には多いと思う。素材そのものの味は美味しいのだけど、か弱いものだと思う。

日本酒にしろお味噌にしろ、現状を思うと、ずいぶん遠回りをしているなと思う。遠回りをしたあげく、醸造アルコールだとか化学調味料だとか、大型スーパーだとかネット販売だとか、ちっとも良くない。せっかく積み重ねてきた智慧や経験、技術をなぜやめて、なぜこういう薄っぺらいものに変えてしまったんだろうか。誰も望んでなかったろうと思う。実際、はじめにこれを目指して、化学調味料をつくった人はいなかったろうと思う。これ、なんなんだろう。

でも、こういうのって、やってみたからわかるっていう種類のものだとも思う。わかったなら、少しずつ戻すというか、折り合っていかないと、大きなものを失っちゃうんだろうな。

本当のことを言えば、あんなに身近であんなに美味しいものは無いと思う。飽きちゃったってことなのかな。しかも今でさえ、あんなに安く買えるってすごいですよ。人気がなくて売れないから安いのかな。

中国に華僑ができたような動きをできないものか。

少し前、知人と飲んで話をしていたのだけど、中国でいう華僑みたいな動きをやれないと日本は厳しいんだろうと思っている。とはいえ、華僑の方たちはちゃんとその土地の生活に馴染む手法と努力でがんばった。僕らに同じようなことができるかと思うと、難しいのかもしれないと思う。

全くの新しい土地で新しくはじめるには、違和感無く受け入れてもらうことが大切。僕が思うのは、華僑の人たちがそうだった(んじゃないかな)ように、その土地のものでつくった料理を提供することからはじめると良いのじゃないかということ。で、ありきたりな言葉で言えば、プライドがあるとそういうことがやりにくいものだと思う。

僕が高校生の頃、旭川の川辺の緑道にあるベンチに座ってぼーっとしていると、おじいさんが一人やってきて、僕の横に座った。おじいさんは、食費が1食50円であること、それはうどんであるということ、年間節約賞みたいなもので県庁から表彰してもらったことなどを話してくれた。(そんな賞があるのかは定かじゃないけど)

話は変わってまたその昔、小学生中学生ぐらいの頃、僕が住んでいた家は、3人住まいで家賃が6000円だった。家で食べる分の食費は20000円ぐらいとおばあちゃんに聞いたことがある。光熱費は10000円ぐらいだったのだろう。あわせて40000円に満たない。

こういう生活を思うと、今の僕の暮らしは随分と贅沢なことだと思う。でも、その当時の僕は特に不便などなかったし、夕食の支度の手伝いも楽しかった。小公女セーラとか日本昔話とかなんやかんやとテレビを観たり、机は無かったけどねっころがって勉強もした。できないことはたくさんあったけど、幸せだってたくさんあった。僕はいわゆる贅沢な暮らしができるほど裕福ではないけど、特別な倹約家でもない。ただ、今の僕の生活を、昔のようなところに落ち着けるのはやはり難しいような気がする。何でだろう。

実感と違う、ねじ曲がった認識が数多くある。今、特にねじ曲がってることの原因は効率やお金にある。

戦争すると儲かるとか、経済が大きく動くってよく聞きます。あれ、経済的な影響は確かに大きいのだと思いますが、何となく大きな話だし専門的っぽいからよく考えずに、そういうもんだ、と思ってる人は多いと思います。僕もそうでした。でも、ちょっと前に、ふと思いました。あれは、大きく動いてはいますが、大きく失ったものを補填する為に、未来の大きなお金をあてがっていますよね。つまり、実際はちっとも良い動きを生んでいない。そんな風に、みんなでちゃんと否定できないと駄目だなと思いました。

家は借りるより買った方がお得ってよく聞きます。これ幻想に近くないかな。貸せる人はとてもとても裕福で、経済面だけでみれば慈善的な行為になっていく可能性もある。なぜそう思うか。二つある。

一つはこんなに大きな存在である土地や建物を所有する人が、ある種の責任を背負わないなんてちょっとおかしい。責任というと少しニュアンスが違うのだけど、難しいが例えてみると、自分の目が届く場所というのは自分がそこにいること、もしくはそれに近いことで、そこに自ら手がかけられるのにかけないのって何がしたいんだろうなと思っちゃうという感じ。手や目の届かないような物件を所有して、誰だかわからない人に貸すよりも、この人が好きだって人に貸して、その人と生きていくのなら、とても面白いことだろうなとは思う。

二つめは、今ある家の数はたぶん人の数を上回っている。社会としてどんどん新しく家を作ることについて、人の仕事をできるだけ生まないような、今の家の作り方になんか良さがあると思えない。そうじゃない家もたくさんあるから、そういうのはがんばってほしいし、そうやって建てられるなら自分の家を持てば良いと思う。特殊な技術が崇められるような話ではなく、みんなの生活の一部(仕事)をつかって、自分の家を建てるという当たり前のことをやれるならという意味で。

これは結局1000万円で立つ家なんておかしいってこと。よーく想像してください。手で建てる家をつくるのに5人で半年かかるとして、1人あたり半年で200万円しかもらえない。材料費が半分なら給料は100万円。ひと月で16万。大工さんは若い人から年配の方までいます。妻子がいる家庭が16万円で成り立つかな。若い人をもっと安くしたところで、偉い人だけ30万円にするのも結構な遠さ。材料費が高ければ、もっと遠い。こういうことを思えば、建物分だけで3000万円ぐらいからが妥当な金額なんだと思う。しかもローンじゃなくて。そのお金が無いんなら、建てなくっていいと僕は思ってしまう。なぜ自分の家がほしいのか、をよく考えてみると良いと思った。家賃、しんどいけどね。でも、しんどいけど良いんじゃないと思うかな。

時代は進んだ。時代は変わった。だから時代遅れだ、っていう捉え方。だいぶ危ういと思う。確かに時代は進んでいる。その進んだ先に生まれた、時代遅れっていう考え方。これのもとは自尊心とそれを保持したい気持ちから来ていると思う。それは、色んなものをなぎ倒す、言ってしまえば甘えなのだと思う。

エネルギーがどうの、経済がどうの、法律がどうの、便利がどうの、そんなことは何のことでもない。僕が僕の家族が僕の友達が、幸せに生きていくことだけに注力すれば、そんなことは何のことでもない。いらないものは多過ぎると思えるが、多くたって良い。何のことでもないのだ。

給与をもらっていると経費っていうものを理解できない、と言っている記事をみかけた。これを別の対象で言うと、経費をじゃんじゃん使ってるのは税金を理解していない、これと同じじゃないのかな。稼いだり使ったりするのは、結局みんなのお金でしょう。経費に計上したお金は、誰かが収めた税金が回り回ってあてがわれてると思うのだけど。まあ、だからあらゆることに仕分け(この表現嫌い)をしようなんて思わないけど。切り口のおかしな話だなと思ったというだけです。

いわゆる有名な、頭のはっきりした人たちが、誰も行ったことの無いところへ、とか、誰も観たことの無いものを、とか、本当の贅沢がどうの、とか、そういう言い方しかできないのは、本当になんというか、もっと違うことを言えば良いのに、と思う。そんなとこで止まっちゃいかんし、そういうことを促してはいけない。有名な人がそう促したとき、「誰も観たことのないものをつくれればあなたの人生は間違っていないのですよ」って感じてしまう人は多いと思う。「ああ、間違っていないんだな」っていう実感は、ある問答というか、手軽なやりとりの中から生まれることはなかなか無いものだと思う。間違っていることや、わからないってことが辛いことだとは十分わかってるけど、その辛さを落ち着いてながめてみれば、辛いのは嫌だけど、どうして辛いのか、や、辛いとどうなるのか、を考えるきっかけにちゃんとなってくれる。辛くても、死ぬまでは生きるようにできていると思う。

僕もすごい不安を感じてる(たぶん)。でも、未来像なんてまったくないけど、超絶に明るい未来がぼんやりいつもある。これは、僕が健康であることや、生きているってことがそう思わせてくれていて、こんな僕はほんとうに有難いことであるな、と思う。なので、ぼんやりと超絶がんばる。それで良いかな。

こういうことを書くとたまに勘違いをされるんだけど、日常的なこと、人生に深く関わる問題は僕にだって山のようにありますよ。大多数の人はそうでしょう。大多数がそうであることこそを問題視したい。少し変だから。

動機が勘違いであることは往々にしてある。それが良いこともあるけど、耳にした程度のことを動機にすると、まあろくなことにならない。動機に思い入れが見出せないなら、やめた方が良い。

テキトーな存在のテキトーな言動や行動を真に受けると痛い目にあう。大手参入、とか。

最近こういう話多すぎる気がするっていう、ある種の話がある。当然のことながら僕程度では当事者の気持ちには全く至らぬわけですが、動揺は大きい。

近くの人の大切さ みんながんばれこのやろう

運ってのはある。運命と言っても良いかもしれない。でも、ある運命が巡り合わせによって、このタイミングだけに起こるというような話はたぶん嘘だと思う。起こることは起こるし、繋がるものは繋がる。タイミングは要素の一つだけど、重要ではない。引き金を思い浮かべるからおかしなことになりやすいのだけど、そういう意味では引き金なんてとうに引いている。僕らはもう、ある地点に向っている。が、ある地点は決まってるようなもんじゃない。

「何で生きているんだろう?いつ死んでも、もうどうだっていいや。生きる意味なんてないよ」と誰かから言われたら、僕は「本当に殺しそうなほど憎い誰かがいるの?例えば僕を殺したい?」と聞きたい。

自分の生きる意味を僕に問うこと自体が、僕が生きていることの意味の無さを主張し、あなたの言う「僕の意味の無い生」は状況次第では奪っても平気、ということに近い。話しかけている僕に対して、殺してやりたいなどとは当然本人は思っていないだろうけど、あなたのそこにあるものも、僕のここにあるものも、状況や状態は違うけど大切なもので、軽々しく生きる意味なんて無い、とか言っちゃいけない。そう思っていることは、半ば殺人犯を応援しているように、僕には聞こえる。

とかいいつつも、生きる意味について、僕は無いと思っています。ただ、意味が無いからどうでもいいってことではなくて。意味が無いけどとても大切なもの(これは表現的に軽いしニュアンス違うけど)。

純粋なことしかネタ帳に書かなくなったような気がする。純粋なことっていうのは、僕にとって特に切実なこと。ここに書いてあるようなことは(悪いって意味はまるでないけど)不純なのかもと思った。

このタイミングで、僕のこの状況は有難くはある。が、反面、遠ざかっている感じもしている。こういう経験をともにできないのは、後に何かを起こすんだろうな。それはそれでしょうがないのだけど。とはいえ、進まないというわけにもいかず、進むだけなのだろうとは思う。

馬鹿なことは好きだけど、ブロッコリーは食べ物で、食べ物を粗末にしてはいけない。そういう感覚はないのかな。大量消費的にうまくいった実感は、こういうことをわからなくさせるんだろうか。平気で捨てるし、扱いはひどくなる一方だろう。どんなに捨てていても見直そうと思わない。お金の都合に振り回され過ぎ。もっと違った馬鹿なこと面白いことはできるだろう。あと、お金を中心にするから捨てるなんて方法が出てくるんじゃないのかな。

情報に差があるなんて普通のこと。格差なんていう表現に驚くことも、それに焦ることも、必要無いと思う。僕が気になったのはどちらかというと、刑務所では見せないものを子に見せていることの自覚について。駄目ゼッタイとは思わないけど、引っかかるものがある。

投稿者 morld.journal : 05:52 | コメント (0) | トラックバック (0)

まめ部

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オレンジページさんの新しい活動「まめ部」のロゴをつくらせて頂きました。

まめ部 はじめました!

信州八重原にある信州ファーム荻原さんと一緒に、開墾をし豆を育てるところから始められています。

畑のことなので、ゆったりとした時間で幅広いプロジェクトになっていくような期待を胸に、これからの展開を楽しみにしています。

投稿者 morld.journal : 21:02 | コメント (0) | トラックバック (0)

いなだクリニック

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蒲田に新しくできるクリニックのロゴとサインをつくらせて頂きました。内装設計は宇津木喬行さん。

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少し前に公開していたこのピクト(Y004)をクライアントに気に入って頂いて、サインに採用してあります。あわせていたAkkoも一緒に気に入って頂いたので、ロゴの英字に使ってあります。

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稲田さん、宇津木さん、ありがとうございました。

投稿者 morld.journal : 09:56 | コメント (0) | トラックバック (0)